窓から外を眺めるだけで、くらくらしてきます。
蝉の鳴き声も、どこか茹だってるようで、早朝の勢いはありません。
小さな家庭菜園では、トマトやキウリはもちろんのこと、紫蘇の葉っぱまで萎れてしまいました。
なんてことでしょう。例年、こうだったかな。それとも、自分の体力が落ちたせいなのかな。
暑いです。
こんな暑い日にうとうとしていると、プールのあとで昼寝をしていた子供の自分なのか、今の自分なのか分からなくなる瞬間があります。
今朝の『らんまん』は、苦境にある万太郎に、「どこまでもついていきます」と宣言した寿恵子さんの見せ場でした。
お手本のようなご夫婦像に、朝ドラらしさがありました。
結婚と言えば、少し前、浅田真央さんの「結婚はムリ」発言が話題になりました。
国民的アイドルとして、青春をスケートに捧げたのですから、それ以外のことへの経験不足は否めません。
今のスポーツ庁長官の鈴木大地さんも、昔、結婚に失敗されました。それは、誰が見ても無理な成り行きでした。
ある意味、一つに打ちこむことは、危なっかしい面も併せ呑む覚悟がいることを見せてもらった気がしたものです。
でも、真央さんの人生は始まったばかり。まだまだ結婚は無理と結論づけるのは早すぎます。あなたに元気をもらった多くの人たちが、あなたの幸せを願っています。
愛。
曽野綾子さんが『誰のために愛するか』(1970年の大ベストセラー)の中で書かれた、「愛とはその人のために死ねること」という言葉が流布したことがありました。
積極的な奉仕の愛です。
それは、曽野さんが熱心なキリスト教徒であることから発せられたものと今では思い至っています。
人間には、愛するのが好きな人と愛されるのが好きな人の二種類があるようです。
もちろん、そのどちらかに偏らず愛のバランスが良い人であれば、なんの問題もないのですが。
でも、偏っていると、愛はこじれます。
たとえば、うちの両親は、父母のどちらもが愛を下さい型だったから、うまくいかなかったのではないかと思っています。
彼らの子どもである私はといえば、これまた偏ってしまって、愛するだけの一方方向型です。誰かに何かをしてあげている時だけ元気が出るタイプも、困ったもんです。
ところで、今、とある政治家の愛が大きく取り沙汰されています。さんざん叩かれ、政治生命も危ういと聞きます。
はたして、彼の愛はどんなだったのでしょう。
大方の人に疑問を抱かせる愛ですが、一方で、それが愛という意見もみられます。
私が彼を庇えるとしたら、彼は愛する方が好きなタイプじゃないかという点です。
財力も権力も能力も有り余る彼だから、彼は思い通りの愛を実践できたのでしょう。
I want to love rather than be loved.
美しい言い回しですが、回り回って自己愛だったりするわけでして、愛の形の多様性を今更ながら感じています。
愛するほうが好きですか?
愛されるほうが好きですか?