蝉が鳴き始めないから梅雨明けはまだでしょうに、山の向こうにむくむく湧いてくる入道雲は盛夏そのものです。
動きたくない~という飼い主の心を読んでくれといっても無理なこと。我が家のわんこは健康そのもので、夕方5時半には散歩のご用命が始まります。
仕方なしに重い腰を上げて、眩しい西日の中へ出かける毎日です。
ルートはその日の気分次第です。と言っても、近所の道ですから、昨日と今日に大きな違いがあるはずもなく・・
というのは、大きな間違い。
心震わせる大発見に出逢うから、散歩はバカにできません。
昨日は、バナナを見つけてしまいました。
いつも通るお宅の敷地からはみ出すように、芭蕉の木が育っていまして、なんと、そこに立派な実がなっていたのです。
それを見た途端、芭蕉を邸内に植えた家主は芭蕉ファンなのかと俳人芭蕉に思いを馳せてしまいました。芭蕉は本名を松尾宗房と云いました。その後、李白に憧れて、俳号を桃青と称していたにもかかわらず、仲間が庭に植えた芭蕉が育ち、住まいを芭蕉庵、自らを芭蕉と称するようになったそうです。
芭蕉はヤシ科。同じヤシ科の蘇鉄も異国情緒を誘うからか、江戸時代には大名庭園に好んで植栽されました。
一般的の家庭も、それに習えとばかり植えたものです。
うちにも、その仲間、棕櫚が植わっていました。10mに達するほど大きくなって、先年の台風時に恐ろしいほど揺れたのを見て、伐採してしまいました。
ヤシ科ですから、幹に見えても茎なのです。南国の台風に揺れる棕櫚や蘇鉄が倒れたと聞かないのは、その柔軟さのおかげといえます。
その茎に生えている強靭なヒゲは、昔から多用途に使用されてきました。
今は化学製品にとって代わられた、箒やたわし。
つい最近まで、束子(たわし)は棕櫚製が台所の必需品でしたのに、姿を消そうとしているのは悲しいことです。
それから、懐かしい棕櫚の箒。小学生から高校生まで、掃除当番のお供をしてくれました。棕櫚箒が悪ガキをどれほど楽しませたことか。あんなことも、こんなこともありました。
そんなことを思いながら、棕櫚箒を作る過程を検索していたら、ふと、「寒山拾得」の絵を思い出してしまいました。
どっちの人が箒を持っていたっけ。
寒山は文殊菩薩の化身。拾得が普賢菩薩の化身だから、箒を持っているのは拾得でした。
ネットで、芥川龍之介の『寒山拾得』という短い作品を読んで、なぜ、昔の文豪はこんなに博学なのだろうかという畏敬の念にかられ、もっと知りたくてなって、阪大図書館に足を運びました。
船場の阪大図書館の受付の方と目があったので、検索の手間を押し付けてしまいました。こういうとき、老人という隠れ蓑は功を奏します。
直ぐに探し出してくださった森鴎外の角川文庫を持って、意気揚々と帰ってまいりました。
「ブックサーフィン」という造語があるようです。
一冊の本から別の本へ、意外なつながりを知ることで、興味が広がるという意味。
今日は、それとは違うんですけれど、一本の芭蕉の木の実から、森鴎外にまで広がった一日でした。
自分でも感心するほど上手く波に乗れました。こんな日があるから、人生は楽しいです。
せっかくですから、「寒山拾得」だけでなく、鴎外の名作集をゆっくり読むことにします。