こころあそびの記

日常に小さな感動を

五色塚から

 

 ここは、どこでしょう?

 向こうに見えるのは淡路島。大橋の橋脚が一つ見えています。

 陸先生の講座の日。

 神戸くんだりまで出かけるのに、ご褒美なしにはすまされない性分なものですから、いつものハーブ園は暑さのため避けて、垂水までお寿司を食べに行くことにしました。

 

 

 駅前の大将寿司さんは、私たちが垂水で過ごした四十年も前から、変わらずに営業を続けてくださっています。

 今日も気持ちよく迎えてくださったことに気をよくして、そうだ、五色塚まで歩いてみようと思い立ったわけです。

 

 

 この古墳の横にあるマンションを孫たちの週末のお遊び用に準備してくれた父。

 その頃は、古墳の周りに柵もなくて、自由に出入りできました。孫のことが大好きな父と、父のことを「じっちゃん!じっちゃん!」と取り合いする孫たち。

 その一団が、この古墳の階段を何度上がり下りして、競争を繰り返したしたことでしょう。

 どの子の心にも深く残っている楽しい楽しい思い出となりました。

 あの年齢で孫と競争できた父の足とは大違いの私の脚力。息は上がるわ、足はガクガクするわで、なんとか上がり下りしたことです。

 この青空と明石海峡大橋、大海原を行き交う船。

 ぼーっとタイムトリップしながら、ら胸に去来するあれこれを思うとき、なんと自分が幸せかという気持ちが湧き上がります。

 あんなことも、こんなこともあったけど、私は幸せ者。

 

 

 昔、子育てが一段落して働き出したとき、占いを趣味にされている患者さんとお話することごありました。

 ご好意で占ってくださるとのお申し出を、よろこんでお受けしたことです。

 ただ、謝礼は絶対に受け取らないことが条件とおっしゃいました。占いを商売にすると子孫に決してよくないからという理由でした。

 そのときの占いの結果は、赤色の神様も青色の神様も余白がないほど、いっぱいに書き込まれていたことを覚えています。

 赤色は応援の、青色は困難の記しだったのではないでしょうか。

 吉凶を数多く経験すること。それが私のこの世の勉強だったと、今、思います。その通りだったと。

 

 

 元町に帰って、にしむら珈琲に駆け込みました。並んで待って、ようやく席に案内してもらって、飲み干したお水の美味しかったこと!

 この店の宮水使用が、本当だったと信じることができたことでした。

 そのあと、さらに二杯入れてもらって、三杯のお水だなんて、久しぶりのことでした。それを、いやな顔の欠片も見せず、「暑かったでしょう。いくらでもお飲みください」とお給仕してくださった優しい笑顔の女性。

 ありがとう。おかげで、私は生き返りました。