今日は一茶忌。
「我と来て遊べや親のない雀」
こんな寒い日は福良雀になって群れているでしょうか。そんな光景が目に浮かぶほど北風ピープーの一日になりました。
春の“清明”の初候にある「虹始見(にしはじめてあらわる)」に対して、あと三日で迎える“小雪”の初候は「虹蔵不見(にじかくれてみえず)」です。
つまり、秋から冬は虹の出現が減ると言われているのに、今朝も大きな虹が架かりました。
暦の本には、「日の光が弱まって虹が見えなくなる。曇り空が多くなり日差しが弱まるから」と書いてあります。
しかし、今年はお正月でも見えたのですから、こればっかりは太陽高度と空の水分との関係が、うまくいけば見られるということでしょう。
不粋な分析は止めにして、わぁー見えた。その幸せ感を大切にしたいものです。
ところで、「虹」という字はなぜ”虫へん“なのかご存知でしょうか。
「虫」という字は、蛇などの爬虫類や虫類の総称に用います。見たときにはっとさせる何かを持つ彼らに、昔の人は呪霊の力を感じたようです。
「工」は左右にわたって反りのあるもの。即ち虹の胴体部分を表しています。
そして、私がそそられるのは、殷代の人が、稲妻のあと雨が降って、その水を飲むために現れるのが虹と考えたところです。ロマンチックですね。科学ばかりに思いが捕らわれると、そんな発想力がなくなってしまいます。
そんなことぐらいで能天気なといわれようと、二日つづけて虹が見られた幸せを静かに胸にしまっておきたく思っています。