今朝は、孫一人分のお弁当。負担がいつもより少ないだけで力が有り余ってしまって、今なら間に合うかもしれないと車を走らせました。
アリーナ到着時には朝が始まって、曙色が遥か大阪の町を包んでいる光景が見えました。静けさの中で、映画の1シーンを鑑賞しているようでした。
ほどなく生駒の山から朝日が上ってきたときには、辺りで散歩していた人もみな足を止めました。
「きれいですね」。
それぞれの心に思うことは違っても、太陽の厳かさに打たれる気持ちは同じでした。
初日の出には大勢が駆けつける名所です。
さんざん琵琶の花の香りを吸い込んだり、鴨ちゃんたちが遊ぶ姿に癒されたりして帰宅したら、娘家族が北野天満宮へ行くと云いますので、私も連れて行ってもらうことになりました。
昨日のことになりますが、あるご婦人が娘さん家族との同居を止めて家を出たと話されるのを聞きました。
昔、清明神社でおじいちゃん先生に相談されていた内容と同じです。あの人たちも「もう十分に子どもたちには尽くしてやったから、ここらで家を出てもよろしいか」と、お尋ねになっていました。
自分の娘であっても、生計を共にするということは、老齢で稼ぎのない身には重荷になります。
近い例でいえば、私と母です。
母が私たちとの同居を拒んだことは、彼女の性格では正解だったろうと、今、自分がその身になってみてわかることです。もしも同居していたらと、考えるだけでおそろしい結末が推測できるのです。
現代において同居するには、いくつか条件があります。
適度な距離感を保てる間柄であること。
金銭感覚が緩いこと。
などなど、ご家庭の事情は千差万別。
年金生活者の私はもっぱら、最後までやっていけるかなということだけが不安材料ではありますが。
それでも、娘家族と一緒に生活するからこその楽しみは、独居では味わえないものです。今日みたいにね。
だから、今のところ、私は幸せです。