こころあそびの記

日常に小さな感動を

「日本は平和な国なんよ」という一行

 どうしても、あの新芽が食べたい!
 おいおい、両手をかけた枝が思いっきりしなっていますよ。

 あれ?脱走したくてしたわけじゃないよ。いつの間にか柵の外に出ちゃったよ。どうしよう!

 すぐさま柵の上に飛び乗って、早く帰れ!と鳴く親分。

 餌を漁っているのではなくて、巣作りに必要な藁を取っているんだって。知らなかった。
 人間も土壁を塗るときは藁を入れるよ。一緒やね。

 咲き始めた赤ちゃん。朝陽に溶けそうな淡い色。

 今日もいいお天気。気持ちいい!


 先日の朝刊に掲載された「日本は平和な国なんよ」という一行で終わる詩を読んで、ほっこりしました。
 大人の事情で、そのまま転記できませんが、79歳男性が子供の姿を通して、温かだった昭和を描いておられます。

 ある朝、庭の掃除をしている子供を見つけます。あれあれ、早くしないと遅れるよ。ダッシュで学校に走っていく後ろ姿に「先生は優しいかな」と心配しつつ、「大声でかましたれ!」とエールを送ります。
 その子が元気よく「おはようございます!」と校門をくぐった様子に安心して「(よっしゃ)それで遅刻はちゃらや。僕はそうしてきた」と。「日本は・・」という最後の一行で結ばれていました。

 すべての大人にお願いです。自分の記憶に残る温かみを今の子ども達に一つでもいいから、伝えてあげてほしい。

 世知辛い世の中になりつつあることを、マツコ・デラックスさんが「(これからますます)殺伐としていく」という言葉で表現されました。
 若くて賢い人がそんな強いメッセージを出さざるを得ないことにドキッとします。もっともなんだけど、それじゃ未来が泣いてしまいます。

 皆さんはこんな光景を目にしたらどうされますか?

 パン屋で子供がピックしたパンを落としてしまいました。
 周りの大人は見て見ぬ振り、レジの方はそのまま精算したというのです。

 おせっかいなおばちゃんはいなくなりました。イッチョカミは、無駄な訴訟を生むだけとみんなが後ずさり。

 ルールだけが大手を振ると、殺伐としてきます。
 法治国家を目指した秦の始皇帝が築いた国は数十年しかもたなかった。ルールだけでは人心が荒むことは証明されています。
 ちょっとした”あそび“が許されないと社会はギスギスしてきます。
 まあまあと間を取り持ってくれる人。
 こらっ!これからしたらあかんで!とゲンコツ一つで許してくれる人。
 手伝おうかと救いの手を差し伸べる人。
 ルール遵守よりも、柔軟な対応ができる心の強い人に憧れます。


 「日本は平和な国なんよ」といえる国であってほしい。
 こんなに美しい自然を持つ国土に生まれたのだから、心を澄まして生きていきたい。