こころあそびの記

日常に小さな感動を

雪予報

 

 七十二候「山花始開」(つばきはじめてひらく)は立冬の初候でした。

 この”山花“は「山茶花(サザンカ)」のことです。

 あれから2ヶ月。

 山野でも、町中の垣根でも、山茶花は色のない冬景色の中で、唯一の色を楽しませてくれています。

 そして、この大寒の中で咲く山茶花に雪が被れば、この季節の美しさの代表になります。

 そんな光景が見られるかもしれないこの数日です。

 

 この寒さを越えたら立春です。春を押し開くように椿が咲き始めることでしょう。

 こんな年齢になるまでは、サザンカよりも椿のほうが好きでした。

 お床に一輪挿してあると、いやでもお茶席に緊張感が生まれます。

 しかし、眠れる山中で赤い色がどんなに慰みになるかを知ってからは見方が変わりました。冬景色のさみしさをカバーしてくれるのは、もっぱらサザンカなのです。

 

 サザンカは椿と同じくテカテカ照る葉っぱを持ちますから照葉樹です。四国、九州、沖縄に自生していたため、都人の目に触れることがなかったといいます。

 それでも、都に持ち込まれたのは、椿よりちょっと早めに咲くこと、首が落ちない冬の花といった理由だったのでしょうか。

 

 

 山茶花や 古き障子の中硝子

          久保田万太郎

 今は畳の部屋のあるお家も少なくなりました。畳の部屋から中硝子越しに見えるお庭が見える贅沢な時間を感じます。忙しない日常を、いっときの休息をくれるサザンカの花です。

 

 山茶花に あるは霙の降る日かな

           河東碧梧桐

 これは、明日にも起こりそうな光景です。

 そういえば、今年は温かくて小鳥たちが山の上から下りてこないそうです。どうでしょう。明日あたり、下りてきてくれるでしょうか。

 

 

 雪への憧れなんて、大雪予報の北の国には許されない戯れ言です。

 それでも、身も心も引き締まる雪の純白に憧れます。明日を楽しみにしています。

 

 

 遺愛寺の鐘は枕をそばだてて聴き

 香炉峰の雪は簾をかかげて看る

            白居易

 

 清少納言が有名にした、この詩。実は、七言律詩の真ん中部分です。

 前のニ句は「日が高くなったのに気だるくて布団を被って寝ています」と。その気持ち分かります。寒い季節は、お布団の中こそパラダイスですものね。

 最後のニ句は、「心やすく身やすき所が安住の地。ふるさとは長安ばかりでない」と、いまだ消えない都への憧憬が感じられます。

 中央に上がることにしか世に出る道がないと信じざるを得なかった時代。

 生きるとは何ぞや。

 生産性が皆無であった我が人生。追い求めたことは、心やすく身やすき所だけでした。それが許された時代に生まれたことに感謝です。

 

今週末の楽しみ

 

 今週末、我が家にとっては、末代まで語り継がれるかもしれないイベントが予定されています。

 孫の学校主催の交換留学生がやってくるのです。我が家にも一人お泊まりするようです。

 このところ、学校でも、家庭でも、その準備で大わらわ。

 

 

 昨日は学校で、歓迎行事に披露する「よさこいソーラン」と「マツケンサンバ」を練習してきたみたいです。

 もっとも、その選曲は「今年の生徒はしぶいなぁ」と学級担任に言われたようですが・・高校1年生の子どもたちは、ノリノリです。

 練習の後、グループの一団が我が家に集結。なんでも、「たこ焼きパーティー」を開催するための相談をするために、集まってきたようです。

 みんなで、近くのショップに行って「マツケン」のカツラや、当日のお菓子をどっさり買い込んで帰ってきました。

 中の一人が、「僕、今日が人生で一番楽しい!」と叫んだなんて聞くと純粋な青春を羨ましく思います。とびっきりの時間でありますように。

 また、ある子は、買い物してきたお菓子の中から、「これ、お母さんが好きやから」と一つの袋を取り出して持ち帰ったといいます。

 この子のママは平素、息子が話をしてくれない、コミュニケーションが取れないと悩んでおられる方でした。

 子どもの心、親知らずです。彼はこんなにお母さんが好きなのです。好きすぎて、素直にお話しできないだけだったのです。

 

 机上の勉強では見えない子どもの姿に、それが生きる力!と元気をもらいました。

 

 

 ところで、何が苦手といって、私にとって付き合いほど苦手なものはありません。

 相手に対する意識過剰が原因だと分かっています。無理してしまって、自分が疲れてしまう。あぁ、ムリ。諦めて人付き合いをさけて、他人に期待しないことが増えると、ますますその距離が広がってしまうという悪循環を正すこともできずに生きてきてしまいました。

 

 その点が遺伝しなかった娘は、交際上手です。

 お風呂掃除からガーデンパーティーの準備まで、元気に動き回っているのを見るにつけ、私にはあの日のことが蘇ります。恥ずかしくて、できることなら抹殺したい出来事です。

 

 

 28年前の阪神大震災では、子どもの通っていた学校の校区でも、被災されたお家がありました。

 お風呂に入れない日が続いた地域がありましたので、あるとき、子どもが「友達が風呂に入りに来るって」と言い出しました。

 さあ大変。掃除をサボって過ごしている身には、キツいことです。

 そんなとき、さっさと体が動く人は、心が解放された人。私は当時から、そんなときは心の金縛りが起こってしまう質です。

 とうとう、不完全な準備で数人のお客さんをお迎えしてしまった恥ずかしさは、いまでも反省と共に、穴があったら隠れたい思いがいたします。

 そのときのお友達、本当にごめんなさい。

 

 そんなことを思い出しながら、今週末に行われる他国の生徒との交歓会を心待ちにしています。

正代関がんばれ!

 

 

 今週は池田の尊鉢厄神さんの大祭でした。古いお札をお返しして新しいものに取り替えると、気持ちまで一新。一月行事を終えて肩の荷が下りました。

 

 近頃は、スケジュール帳を持たなくても、携帯で全て管理できてしまいます。野暮用のメモが多い日は、朝から張り切るので意外にうまく処理できるものです。かえって、一つしか用事のない日の方が持ち越しになったりするのが、人間の性のおもしろいところです。

 そして、長い間気になっていた用事をクリアできた日のすっきり感といったらありません。こんなことなら、もっと早く処理しておけば良かったと思う反面、今日だからできたのだと考えるのも年の功。いい感じです。

 

 

 本日、大相撲初場所は14日目です。

 子育ての間は観たこともない相撲ですが、近頃は暇があったら観ています。

 昨日の大関貴景勝と前頭三枚目・阿武咲(おうのしょう)戦の気迫のぶつかり合いはすざましいものでした。

 一時、八百長が取り沙汰された相撲界ですが、それを払拭するために後輩達は頑張っています。

 昨日の試合も、胡散臭いところはなくて、阿武咲有利という解説者の予想を吹き飛ばすように、貴景勝が勝ち名乗りをあげました。

 敗因は阿武咲が招いた自滅でした。

 「貴景勝に張られたとき、ついむきになって張り返したことで、隙をつくってしまった。自分が弱いからです。」

 一瞬の戦いに、己の判断が問われるという厳しい世界を見せてもらいました。

 今日14日目を、どう立て直して出てくるか。楽しみです。

 

 

 本名を四股名にしている力士がいます。正代関です。

 熊本県出身の彼のなにが気になるかというと、顔つき、表情です。

 不甲斐ない負け星が先行した今場所。人気解説者の北の富士さんが「性格だね」とポロッとこぼされるのを聞きました。

 どんな性格?とネットで見たら、「超ネガティブ関取」と出てきました。

 真面目に東京農大を卒業することを優先した結果、卒業後に角界入りしたと云います。

 ひょっとすると、彼はまだ自分の人生を決めかねているのではないでしょうか。たまに散見される大学生気質です。満たされた時代に育つことで、満たされることのなんたるかが分からない。

 勉強も相撲も、ちょっとやったら出来てしまう。そうではなくて、もっと、全力出したい。そう思って迷っているように見えます。

 だから、身体に張りがなく、お顔はいつも不安げで、気が満ちた表情を見かけることはありません。

 彼の表情が生き生きして、目に力がこもる日を、地元熊本だけではなく、全国で応援してるファンが待っていますよ。

 正代関!がんばれ!

りんごを買いに

 

 今日は七十二節季の「大寒」です。 

 暦に合わせたように、四十年に一度という大寒波が、来週襲ってくるようです。寒さに入り込まれない工夫をして過ごしましょう。

 中国(写真)では、明日が大晦日で、明後日が春節(旧正月)。新しい年の始まりです。高揚感が伝わってまいります。

 

 

 さて、今朝はうれしいメールが届きました。それは、「空を見られるようになりました」というご報告でした。

 空から金の粉が降ってくるのが見える、と私たちをびっくりさせたのは、中医師・梁平先生です。

 金の粉までは見えずとも、空からは絶えずエネルギーが降り注いでいることは科学的にも証明済みです。

 しかし、そのエネルギーを享受するには、肉体側にそれを受け入れるだけの入れ物が必要です。

 鬱うつしているとき、空を眩しく感じるのは入れ物が不調のしるし。両手を広げて空を見上げられるのは元気になった証です。

 友が知らせてくれた言葉に回復の兆しを感じられたことが、うれしい朝でした。

 

 

 今朝の「朝晴れエッセイ」に『妹とりんご』と題した八十代の女性の投稿がありました。

 

 山形県の雪深い地方で幼い日を過ごした彼女。

 ある日、4歳だった妹さんが発熱します。お母さんが「りんごを買ってきてやって」と、小学五年生のお兄ちゃんと小学三年生の私に頼みました。兄と私ははぐれないように、しっかり紐でくくりつけられて5キロ先の店まで、雪の中を歩きます。

 吹雪で消えた雪道を這うようにして戻った戸口に、お母さんが待っていました。

 お母さんが早速、りんごをすりおろして妹の口に運んだら、唇が動いたのです。

 お母さんは「あんたたちのおかげでこの子は助かった」と、涙声で言ったそうです。

 

 おつかい、雪、温かみの三点セット。

 読後、直ぐに思い浮かんだのは新見南吉の『手袋を買いに』です。この創作の下敷きではないかと思えたほどの実話でした。

 投稿者の子ども時分の体験が、長い間、胸の中で温められ続けて、懐かしくて忘れられない思い出になっていることに感銘を受けました。

 今日では、こんな経験できないだろうと思うのは、お気楽な町の人間だからでしょう。雪深い地方では、車が動かせない日にはこんなことが起こってしまっても不思議はないですね。

 

 

 閑話休題

 子どもの頃、発熱時に、りんごをすりおろして食べさせてもらったことのある人は、少なくなりました。昭和の記憶です。

バードウォチングしてきたよ

 

 念願のバードウォチングデビューを果たしました。

 集合場所に現れたのは、女性ばかり。中の一人が、「バードウォチングに行ってくると職場で話したら、『なに?鳥を数えに行くの?』って言われました」だって。

 かつては、日本野鳥の会紅白歌合戦で赤白の札を数えるシーンが終盤の呼び物でした。ですから、「鳥」といえば「数える!」というイメージが定着したようで笑えます。

 

 

 駅前で「イカル」の群れに見送られて、滝道に入っていくと川の中に「カワガラス」を見つけました。

 営巣するために、嘴いっぱいにコケやら草を頬張っています。そして、これ以上は無理というくらい咥えたら、秘密のアジトに消えて行くのです。 

 カワガラスは他の鳥よりも一足早く、繁殖期を迎えるそうです。親に教えてもらわなくても、小さな体でせっせと巣作りしている姿に自然を生き抜くたくましさを感じました。

 

 

 ちなみに、彼らのお家はこの(上の写真の)滝の裏側の窪みにあるそうです。外敵から身を守るために、ありったけの知恵を絞った我が家です。

 

 今回参加するまでは、鳥の観察というと、鳴き声の聞こえる木の上ばかりを探すものだと思い込んでいました。

 そうではなくて、川の中、石の上、河原と意外に、水の周辺にいることを教わりました。

 

 

 それを証明するかのように、もう少し行くと「ルリビタキ」が観察できました。

 こんな鳥は独りで見つけることは不可能てすから、まさにバードウォチングの会に参加しての収穫でした。

 どこにいたと思いますか?

 この鳥も水辺にいたのです。

 先生が、肩に背負ってきた大きな望遠鏡をセットしてピントを合わして下さいました。

 覗くと、小鳥らしい小鳥がじっとこっちを見ています。日本画家が鳥小屋を自宅に造りたくなる気持ちが分かるかわいらしさでした。

 

 バードウォチングの基本は、鳥を見た場所と時間を覚えておくこと。

 もし次回も同じところで見られたら、その小鳥は確実にそこをねぐらにしています。

 「ルリビタキ」はたった一羽でテリトリーを守るそうです。

 へぇ~そうなんだ。

 「ルリビタキ」は夏場は信州で避暑をして繁殖する鳥ですから、箕面で見られるのはあとしばらくのこと。もう一度会いに行きたい小鳥です。

 

 ほかにも、クロジ、カワセミ、山雀、四十雀カルガモハシボソガラスイソヒヨドリキセキレイなどなど。

 16種類の鳥が箕面公園で見られたことに満足したのですが、先生は少ないとおっしゃいます。もっと寒ければ、餌を求めて山から下りてくるらしいのです。来週は雪予報ですから、絶好のウォッチングウィークになるかもしれませんね。

 

 

 解散前に、先生のお話がありました。

 「一巡するのに三年かかります。そこからは、北海道に大鷲を見に行こうなど、目的を持って旅行に行きたくなります。日本がすんだら、世界旅行です。バードウォチングは終生楽しめますよ。」

 

 春になったら、日本三大鳴鳥の一つ、オオルリも来るそうですから、楽しみは尽きません。

 双眼鏡を覗く楽しみ。

 鳴き声という音の刺激。

 山の中に身を置く幸せ。

 健康に良くないわけがありません。

上沼恵美子のこころ晴天

 

 こないだ、車の中で久しぶりにABCラジオ上沼恵美子のこころ晴天』を聴きました。

 彼女の長寿番組です。

 スーパーに着くまでのわずか数分でしたが、それでも笑わせてくれたのはさすがでした。

 話題は、アシスタント役の若手芸人さんの服装のことでした。近頃の若者はお金かけますから、その日も高級ブランドの『キツネ』のTシャツを着てきたそうです。

 「『キツネ』?聞いたことないよ。いくらすんの?」

 「一万円くらいです」

 「そら、なんぼなんでも高いんちゃう?」

 もうろくの始まっている私の頭は、あるかないかも分からない『キツネ』というブランドから離れません。へぇそんなブランドあるの?!

 「そんなん、650円くらいが妥当やわ」と上沼さん。

 それでも、まだ、堅い頭がブランド名から離れません。

 上沼さんが、独り言のように、「キツネいうたらうどんやん」と、付け加えられて、ようやく大笑い。この人はやっぱり天才なんやと合点して車を降りました。

 

 

 どうやって、こんなに上手に人を笑わせることができはるの?

 庶民の食べ物「キツネうどん」を投げ込んで、視聴者の頭をうろたえさせた上で、予想しない方向へ放り投げるスピードが尋常ではありません。彼女のあたまの切れ方を思い知りると同時に、いまだに、このラジオファンが多いことも納得できたことです。

 

 

 海原千里万里の話芸は、同年代の私たちと共にありました。

 ずっと前の前、朝日放送の横にあったプラザホテルの中華料理『翠園』に、母のたっての希望で同行したことがありました。

 ランチ時でした。人の顔を見たらダメと教えたくせに、母は人の顔をよく観察する人で、「あそこに上沼恵美子が居るよ」と囁くのです。

 見たら、マネージャーさんらしき人と二人でお食事中。

 うれしくなって、ミーハーの本領発揮です。駆け寄って、「すみません!サイン下さい!」と恥ずかしい行為を敢行してしまいました。

 今から思えば、あきれられたからかもしれませんが、落ち着いたものごしでサインに応じてくださいました。

 テレビで見る彼女ではない、静の一面を見て、一流になる人は違うなぁと思ったことも遠い昔話になりました。

 

 

 さて、私たちは年とともに保守的になりがちです。新しいことに無縁になるものは仕方ないとしても、カチンコチンの石頭は避けたいところです。

 柔らかい心と頭をキープすることが健やかさに直結することは間違いありません。

 先日の動物園に続いて、今日は漫才をお勧めします。

 それには、若手芸人さんの巧みな話芸もよりも、やっぱり同じ時代を生きた人の感覚が腹からの笑いを誘ってくれる気がします。

 だから、上沼恵美子さん、まだまだ頑張って下さい!

星に願いを

 

 「君が行く新たな道を照らすよう

   千億の星に頼んでおいた」

 

  今朝の「舞いあがれ!」に登場した歌です。

 どれくらいたくさんの人の胸に届いたことでしょう。この歌だけで、これから幾日も心温かく過ごせそうに思えたことでした。

 

 早朝。夜明け前の空は漆黒で、春の放物線を、なんとかの一つ覚えみたいに見上げていたら、人工衛星が北の方に移動しているところでした。

 思えば、今朝はあの阪神大震災から28年目。あの日の恐ろしげな鮮紅色の雲は見当たらず、どこまでも静かな朝を迎えられたことに胸をなで下ろしたのは空を見上げたすべての人の思いだったのではないでしょうか。

 

 

 ドラマの中で「星って千億もあるの?」というセリフがありましたが、もっともっとあると思います。

 そして、広い宇宙のどこかにあの人の星があって、ずっと地上を見守ってくれていると素直に思えたら、心つよく生きられます。

 

 ところで、只今の夜明け前の空は北斗七星が手に取るように柄を伸ばし、いつか北極星になるといわれるベガは北東の空に上がっています。

 さらに一時間ほど経つと、薄明が始まります。

 下弦の月は痩せているものの、この時刻になると、がぜん輝きを増します。太陽が近づいてきたことを知らせるようにキラキラします。

 太陽の光が月に当たって、それから私に向かって放射されているんだ。

 こんなちっぽけな自分に、宇宙からの贈り物が届けられていることを、この上なくありがたく思って、思わず手を合わしてしまいました。

 

 

 そして、部屋に戻ったら、あの短歌です。

 すべては連動している。それに気づく日もあれば、見過ごす日もあります。気づく日は誰かに気づかされている日なのかもしれません。

 

 あの貴司からの葉書、よかったですね。

 若かった頃、「よっ!」とだけ認められた葉書を受け取った日のことを甘酸っぱく思い出しました。

 星に願いを。