こころあそびの記

日常に小さな感動を

卒業おめでとう

 

 今日は中学生の孫の卒業式です。

 母親は、お友達に誘われてつい3日ほど前に、急遽、和服を着ていくことにしたみたいです。

 平素、着つけていない者にとってはハードルが高いと思われますのに、さっさと、昔の同級生のお母様にお願いして了解を取ったあたり、つくづく恵まれた子だと感心してしまいます。

 遠い学校へ行った子より、地元育ちの子の方が卒業後の生活が楽しいということを、この子が教えてくれます。いつまでも、みんな仲良しで羨ましいたらありません。

 

 

 今朝の読売新聞に小学六年生の女の子の投稿が取り上げられています。

 「新しい漢字が増えないのはなぜだろう」と。

 時代が進化して新しい言葉が増えていくのに、なぜ漢字は増えないの?という疑問です。

 

 本家、中国の漢字は、後漢の『説文解字』に9353字、清代の『康煕字典』には4万7035字、現在の『漢語大辞典』には6万370字掲載されているそうです。

 頭がクラクラしそうな数ですから、さすがにすべてを使いこなすのは無理がありますので、出版物なども読みこなすとして、5000~6000字もあれば生活はできるといいます。

 さらに、英語は100万語以上あるそうですから、上には上があるものです。

 それに引き換え、日本の常用漢字は3000字くらいです。それを平仮名や片仮名を織り交ぜて上手く使いこなせているのは、それはそれですごい知恵だと思います。

 聞くところによると、中国では、新しい言葉を表す漢字が次々と生み出されていると言います。

 たとえば、オリンピックを一文字で表す字というふうに。

 そんなことをしてたら、数限りなく増加していく一方で、忘れられて使われない字も増えて、漢字のゴミ屋敷みたいになりそう。

 

 創作漢字はお遊びに留めるのがよろしいのではないでしょうか。そちらは、毎年、産経新聞でコンクールを開催しています。

 

 

 新しい字を増やすという案は、学習量をさらに増やすことになって子どもを苦しめることになりそう、というのは、老婆心でしかないことはよくよく分かっています。

 

 

 かく言うわけは、かつて、国鉄がJRに名称変更したとき、あれは三十代だったのに、反対意見を投稿した覚えがあるからです。ポンコツ頭は生まれつきで、現状を変えることが苦手なだけなんです。

 ですから、ん投稿のお嬢さんが仰るように新しい漢字が生まれる可能性はゼロではありません。新しい世の中には、新しい水夫が必要ですから。

 それにしても、現行の漢字だけでは表現できない世の中ってどんなものなのでしょう。こっそり見てみたいなぁ。

”縁“

 

 チュンチュンと朝から楽しそうな鳴き声が聞こえてきましたので、外に出てみたら、たくさんの雀たちが餌を啄んでいました。雨上がりの泥の中によほどおいしいものがあるのでしょう。

 仲良くお話しながら啄んでいる様子があんまり可愛くて、日本むかし話の世界に引き込まれたように感じた一時でした。

 

 

 昔、小学校低学年だった娘にお茶とお花を習わせていたことがありました。

 老いさらばえるだけの自分が習うより、未来に生きる人の方が役立つだろうと思ったからです。

 九十代の師匠と十歳にならない娘。

 話が噛み合うのかと心配したのは老婆心だったみたいです。

 ある日、縁側から二人でお庭の木を見ていたとき、娘が「先生、雀が巣を作ってますよ!」と言ったそうで、それ以来、先生は娘をとてもかわいがってくださいました。

 たぶん、雀ではなかったでしょうが、年の離れた二人が木を見上げて「ねっ」「ほんと」と言葉を交わしているところに温かい空気を感じたことです。

 

 その師匠がいつか言われた言葉があります。

 「此処にお稽古に来る人は、みんな縁があって集まっているのですよ」と。

 人生は「運がすべて」という人と同じくらい、人生は「縁で結ばれている」と云う人がいます。

 縁。この世で出会った人だけではなくて、過去世のどこかで袖擦り合ったというほどの記憶にない人がこの渡世を助けてくださっている。そんなことを信じるもよし、信じなくてもよしです。

 でも、近頃、世情がギスギスしてるのは、科学万能主義でそういうことを信じない人が増えたからといえなくもありません。

 

 

 それは説明できないもの。

 よほどの社交家でない限り、この世で出会う人の数などしれたものです。

 ある人は、娘の就職先を探していたところ、昔馴染みにたまたま会ったら、その人の口利きで一発で決まったとか。

 また、店先を訪ねてきた人に、よくよく話を聞いてみたら、共通の友人がいてびっくり。その友人は、かつて仕事のヒントをくれた人だった。とか。

 どうして、繋がっているのか。不思議に思うことはないですか。

 あるいは、この人といると落ち着くとか、この人と話してると楽しくて時間を忘れるわ。なんかも、きっといつか会ったことのある人なのだと思っています。

 

 今、なんのかんの言っても大きなトラブルなく過ごせているのは、ほんとうはとても有り難いことなのではないかと、ようやく信じられるようになりりました。

 お天道様さまが見てござる。

 

 

 昨夜、関西に春を告げる「お水取り」がクライマックスを迎えました。 

 夜空を焦がす大松明で邪気を焼き尽くし、疫病退散、五穀豊穣、天下太平を祈ります。

 それにしても、十日前に、福井県小浜の神宮寺の側を流れる遠敷川に流した香水を、昨夜になって、奈良の東大寺の若狭井から汲み上げるなんて。そして、その水を二月堂のご本尊である十一面観音さまにお供えするなどと誰が思いついたのでしょう。

 今年で1270年目。大仏が燃えた1568年も、大空襲の1945年も、休まずに続いてきました。

 この日がくる度に、燃え盛る松明より、鵜の瀬と奈良を結ぶ見えない道に思いを馳せてしまいます。

 昔の人が考えたにしては不思議すぎます。いや、昔の人だから考えられたのですね。

イカナゴ漁

 

 解禁日を心待ちにしていた方々の溜め息が、「今年もだめか」と聞こえてきそうです。

 『イカナゴ漁』は関西ではお水取りと同じく、春を告げる行事です。

 地元、明石だけではなく播磨から関西地域まで、春一番の匂いは「イカナゴの釘煮」と決まっています。

 砂糖や水飴、醤油にたっぷりの生姜を入れて炊く、あの甘辛い匂いで覆い尽くされた町を歩くとき、幸せを感じたものです。

 なのに、今年のイカナゴ漁は不漁のために、たった1日で幕を閉じてしまいました。

 取り尽くすことを回避して、来年以降に望みを託すそうです。

 

 イカナゴ漁で獲る稚魚は、卵から孵化したての幼魚のことです。

 生き残った子が夏場から冬まで半年以上休眠して、栄養をしっかり蓄えて海底に卵を生むそうです。しっかり栄養を摂らないと卵を産めないのはすべての種と同じです。

 

 

 さて、1960年代から海を真っ赤に染める「赤潮」が始まりました。

 それ以降、人間の生活用水や工場排水が原因であるとして、海への排水に厳しい規制が定められました。

 その結果、海はきれいになったのに、魚は思ったように戻ってこない現実が待っていました。

 

 下水の高度な処理で、プランクトンに必要な窒素やリンが不足したのです。生態系サイクルをスタートさせる植物プランクトンがいなければ、それを餌にする動物プランクトンが発生できません。

 動物プランクトンがないということは、魚は食べる餌がありません。

 

 今、瀬戸内海で起こっていることは、そういうことだそうです。

 つまり、人間が頑張って自然をコントロールしようとしたにも関わらず、成果に結びつかなかったことを示しています。

 山の森の樹木が作った腐葉土や落ち葉が川に流れ出た栄養素が海に到達して、豊かな海になることが周知されるようになりました。

 自然は、そういう自然環境に人間や動物が関わっても壊れない循環を作り出しています。そこには、人間の知恵の及ばない絶妙なバランスがあります。これこそ、福岡先生の「動的平衡」であり、過不足のないことを知ることに繋がります。

 

 生態系は必ず次のステージに移行します。

 そのときは、またイカナゴの豊漁に湧くことでしょう。

 ただ、それがいつになるのかは誰にも分からない。そこが自然の不思議です。神様のいうとおり、という呪い遊びが、現代にも適応すると知ってる人は幸せです。

おめでとうの春

 

 今日はうれしいことがいっぱいです。何からお話しましょう。

 まずは、朝一番にウグイスの初鳴きが庭に響しました。

 「ホーホケキョ」と鳴き始めたので、慌てて双眼鏡を持って外に飛び出したのですが、ウグイスは枝先よりも葉の茂みの中を移動するため、レンズでその姿を確認することはできませんでした。

 槙から泰山木へ。桜からヒマラヤ杉へ。飛び移っては鳴いてくれました。

 里で美声訓練し終えたら、山に入って巣を作り、繁殖を始めるそうです。

 

 

 彼らがこんな美声で鳴くようになったのは、このウグイス色にあります。

 「鶯や鳴かねば それと気づかずに」といわれるゆえんです。

 雌にアピールするには、この地味な色をカバーするものが必要。だから、こんなに美しく鳴くようになったと聞きます。

 さらに、雌の争奪戦が終われば、今度はその巣にホトトギスから托卵を受けます。

 賢いようで、気のいいウグイスです。

 

 

 わんこの足の具合が悪くて、しばらく行けなかったアリーナに、好天に後押しされて行ってきました。

 もう咲いてるかな。

 

 

 わくわくしながらサンシュユ林を目指して歩いていましたら、遠くからでも枝先が黄色に染まっているが見えてうれしくなりました。

 黄色い花の咲き出すシーズンです。

 

 

 マンサクの花。

 

 

 いわずとしれた菜の花。

 

 

 タンポポだって。

 

 

 崖に水仙が群れて咲いている場所はないかしらと探していたら、ありました。この情景になぜか懐かしさを感じる私です。

 

 

 昨夜、アカデミー賞の発表がありました。『君たちはどう生きるか』が長編アニメーション賞を、『ゴジラマイナス1.0』が視覚効果賞をそれぞれ受賞したそうです。

 今回は、受賞作をどちらも鑑賞していましたから、おめでとうの気持ちにも念が入ります。

 どっちがと訊ねられたら、『ゴジラ』かな?

 山崎貴監督の表現のおかげで、温かみのあるゴジラ映画になっていました。

 授賞式の壇上で、「君たちにも挑戦権があることを証明したよ」と、VFXを志す若者達に語りかけました。

 新境地を拓く人々に心から拍手を送りたいと思います。

 ついでにご報告しますと、近所の私学高校から初めての東大合格者が出たと大騒ぎです。東大が凄いというのではなく、そこまで頑張れる環境を整えた学校の努力が実ったことに沸いているわけです。

 これが後輩をどれほど勇気づけることかと感激しています。

 後に続け!先生たちの意気込みが例年以上に高まっている様子が伝わってきます。

 春を迎えた全ての人々。

 おめでとう。心からお祝い申し上げます。

なごり雪

 

 「春は名のみの風の寒さや・・」

 今日は『早春賦』そのもの。

 先人の味わった季節感が後世の人間にそのまま伝わってくる臨場感が、歌い継がれる理由でしょう。

 詩を作る人が、天に愛されているのは疑いようがありません。そうでなければ、後世への贈り物を託されるはずがないからです。

 

 さて、昨日の続きです。  

 確か、「思いが叶った」と認めたような。

 そうでした。神戸で勉強会があったので欲を張って、早めに家を出てハーブ園に行くことにしたのでした。

 

 

 ロープウェイで上がる時には、雲は多めでしたが、下界が見えていました。

 ところが、山頂駅に着いたあたりで一転、雪が舞い始めたのです。

 3月のなごり雪は、私にとって季節の移り変わりに欠くべからざるツールです。これなしに春を迎えるのは、それこそ気の抜けたサイダー。

 なごり雪を見送ることが、迎春の儀式みたいなものです。

 

 

 ですから、雪が降る日をずっと心待ちにしていました。しかし、隣の川西で降った日もあったのに、箕面では降らなかった。降れ降れ!そういう私の思いが神戸で叶ったというわけです。

 

 今さらに雪降らめやもかぎろひの

 燃ゆる春へとなりにしものを

       万葉集  巻10-1835

 

 

 思いは叶う。 

 思っても思っても叶わないときには、恨みに思うこともある願い事ですが、反対にあっさり叶ってしまえば、怖いような気がするものです。

 天は見てござる。と、いうのがほんとうのことと気づかされるのは、こういう時です。

 

 

 深い詩の意味を妙なるメロディーにのせて歌う、”さだまさしさん“は、「あいうえお理論」を二十代で思いついたそうです。

 アイデアの「案(あ)」。

 きっかけになる「因(い)」。

 「運(う)」。

 「縁(え)」。

 「恩(お)」 。 

 それを丹田に落とし込んだとき、彼なりの悟りがあったと推測します。

 それ以降、神社のお参りではお願い事をしなくなったといいます。「ありがとうございます」というひとことしか云わなくなったそうです。

 

 

 昨日のなごり雪が、もっともっと無欲で生きろと教えてくれた気がしてなりません。

 神様の前に立つと、何かお願い事をしなければならないと思ってしまう癖がだめなのですね。

 「ありがとうございます」。これからは、この人生のお礼参りをすることにいたしましょう。

思いが叶う日

 

 『致知』4月号の“巻頭の言葉”は高千穂神社宮司、後藤俊彦さんが書いておられます。

 その中に、『源氏物語』のくだりが出てきます。

 光源氏が夕霧の元服に際し、「なお才をもととしてこそ、大和魂(やまとごころ)の世に用いらるる方も強うはべらめ」と言って聞かせたということです。

 ここで使われる「大和魂」が、本邦で初出といいますから、紫式部が教養のみならず思想的にも飛び抜けていたことが分かります。

 『源氏物語』が読み継がれてきたように、この大和魂が今も多くの国民の願いであり続けています。

 この民の清浄直心を、忘れないようにと訴えて下さる後藤宮司の文章に天孫降臨の地を思い、この国に生まれたありがたさを思っています。

 

 

 神様ばなしを伺ってきました。

 それを知って何になる。という向きもあるでしょうが、日本という国土に住み着いた人々の感性を知れば知るほど、なんと不思議に満ちた国かと思わずにいられません。

 『古事記』や『日本書紀』に出てくる神様だけでも相当数で、覚えきれないのに、実際には、そんな有名どころだけではないことに驚かされます。山川草木から石ころに至るまで神が宿ると感じられるのは、日本人特有の感性ともいえます。

 

 どこか神社にお参りしたとしましょう。

 本殿のお参りのあと、末社を巡られるのではないでしょうか。そこにも神様がおられるという気持ちは、参り続けないとなかなか腑に落ちないところです。

 両親から人並みにしか神様ごとを教えられなかった私は、こんなに長く生きなければ、信心はその程度止まりだったと思います。

 老いて時間ができたことで、持ち前の好奇心が神様に向かっています。

 

 

 その昔、社殿が建ち上がったとき、村人はその屋根の上に真っ赤な火の玉が堕ちてきたのを見た、という謂われを持つのは市軸稲荷神社です。

 そういう不思議。

 科学が全てを解明すると信じている人には分かってもらえないことでしょう。見えない私には、その当時生きていたとしても、見えなかったに違いありません。

 しかし、その現象を疑わず”畏れ“を持つことが大切ではないでしょうか。

 事実、現代科学であっても解明できないことは、解明できていることの何百倍何千倍どころではないはずです。分からないことのほうがはるかに多いと思うことが、畏れに通じるのではないかと思ったりしています。

 

 境内のそこかしこに、たくさんの神様がおられます、と云われると不思議に思いませんか?

 神様に「私は此処がいい」と言ってもらうには、まず清浄であること。

 久しぶりの晴天です。庭を掃き清めることから始めなくてはと思いつつ、どうなることか。出歩いてばかりで困った性分です。

 

 

 追伸

 思いは叶う。そんなことが起こりました。また明日。

歌怪獣

 

 朝。各地のお天気カメラは、うっすらと雪化粧した映像を配信していました。毎年、必ず降る三月のなごり雪がたまらなく好きです。

 大阪は、朝7時から雨雲通過という予報に期待したのですが、残念ながら雨がぱらついただけでした。

 なので、今年のなごり雪は見られずじまいかな?いやそんなに簡単には諦められません。執念深い私ですから、明日に期待して、今日のところはこたつに足を突っ込んでテレビ画面の雪景色を楽しんでいます。

 

 

 さて、去年の『紅白歌合戦』のトリで歌われた「アイノカタチ」に魅せられた一人です。

 以前から、ときおり耳にするMISIAさんの歌唱力が半端ないと感心してはいたのですが、歌自体をじっくり聴く暇がありませんでした。やっと落ち着いて聴けたあの大トリの歌唱には心揺さぶられました。

 ということで、近頃、YouTubeでいろんな人の「アイノカタチ」カバーを聴いています。

 幼いとき、バスガイドになりたいと思っていたのは、ガイドになれば歌を一日中歌っていられると思っていたほど、歌うことが好きな子どもでした。

 もしも、海が見えるカラオケ店があれば、毎日でも通いたいくらいと家人に言うと、それは絶対無理と嘲笑されたので、今のところ諦めています。

 

 

 そんな、私にとって夢の職業である歌手は、努力したからなれるものではないことを、先日の『情熱大陸』「歌怪獣~シマズアヤ」を見て合点しました。

 「アイノカタチ」のカバーを歌っておられる数多くの方々の中で、ひときわ異彩を放っているのが島津あやさんです。

 もともと、彼女のお母さまが無類の歌好きだったそうです。そのお母さまが声帯の大きさで旦那を選んだのも、子どもを歌手にしたいという願いがあってのことでした。そして、娘の力強い産声を聞いたとき、願いが確信に変わったといいます。

 彼女がソウルでもゴスペルでも歌いこなせるのは、スペシャルな声帯を持って産まれたからだったのです。

 

 演歌歌手の彼女がなぜ、英語の歌詞を獲得できたのかという疑問が番組で解き明かされました。

 彼女の甥っ子が英語をカタカナに書き直し、それを覚えておられたのです。

 そんなことできるの?それは子どものころから、お母様に一曲15分で覚えるように教育されたたまものです。

 「やらせてみたら、この子はそれができたんです」と。

 リズムやムードは後付けです。

 彼女自身、音符は読めないから感性で歌っているとおっしゃっています。

 楽譜なしの耳コピ。これができない人は、音楽家にはなれません。

 その才能に恵まれた一人が島津あやさんだったのです。

 

 

 ミーハー心でコンサートのチケットを探しましたら、なんと近場は全て完売でした。

 彼女は美空ひばりに憧れて歌手を目指したといいますが、お母さんと二人三脚なところも、持って生まれた才能も、並外れた練習量も美空ひばりと同じです。

 令和の歌怪獣と呼ばれるにふさわしい歌声のシャドーイングを、今夜も家人に見つからないように自室でこっそりするつもりです。