いつも仕事でお訪ねする老人施設。その周辺に広がる空は大きくて広くて高くて、雲は鳳凰のように飛んでいます。晴れた日は、仕事に来たことも忘れて、まずは見上げてその美しさを写真に収めたくなる場所です。
近くに第二十五代継体天皇陵墓があるからかしら。場所が美しいから選ばれたのか、お墓を作ったから美しい場所になったのか。などと、常々思いをめぐらせていました。
そうしたら、先日散歩の途中で、この施設の前の道が『雲見坂』と名付けられていることを知りました。しかも、最近の開発で付けた名前ではなく、ずっと古く奈良時代から、この場所で雲を見て風を読み戦いの吉凶を占ったとあるではありませんか。
私がここはきれいな空だなと感じたことが、大昔の人と同じ思いであったことに心躍りました。そうなんだ。昔の人と同じ感覚を自分も持っている、そのことに興奮したことでした。
古代人の直感力は恐ろしいほどです。科学の裏付けもなしに、直感に頼って物事を見抜き、そして、連想します。
例えば、「あり」は一日中忙しく歩き回っています。だから、足が痛い人に飲ませたら歩けるようになるかもしれない、なんて誰が考えついたのでしょう。
「蝉の抜け殻」は暑い夏の盛りに本体を守っているから、きっと冷ます作用があるはずだ。「ミミズ」は狭い土の中をグングン進むことができるから、詰まっているところを通す働きをしてくれるのではないか。
他にも、『鹿茸』は生え替わる鹿の角の成長が早いから、『冬虫夏草』はその希少性と奇妙な姿形から、それぞれ強壮作用が期待できそうだ。
などなど、本当によく考えつきます。古代人の確かな直感に見いだされたおかげで、これらは漢方薬として今も使われています。
嘘みたいな思いつきから意外な発見に繋がるところは、ノーベル賞受賞者のお話と共通するところがあります。どちらも、まずは、直感で思いつくことから始まるのですね。
そして、その直感は単純な方がよいと思わせる伝承もあります。
古代人は赤い色から血を連想してしていろんな場面に応用しました。生きるエネルギーは真っ赤に燃える赤い色の中にあるという稚拙そうでいて壮大な思いに感服します。
不老不死の丹薬として使った水銀は赤色でしたし、霞を食べたという仙人は明け方と夕焼けの空の赤い色からいのちをいただいたと言います。
それはちょっとと思われる方も、彼等が生きることに真剣であったことはおわかりいただけるのではないでしょうか。
古代人の直感力のしたたかさは、私達の中にも必ず内蔵されているはずです。
シンプルで素直な直感がいのちを健やかにします。
元気で過ごせる人は、此処は気持ちいいなぁとか、これは美味しそうだなぁ、空気が美味しい、いい匂い~、と感じられる人だと思います。
直感力、大切にしたいものの一つです。