こころあそびの記

日常に小さな感動を

庭仕事

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 意外に忙しい庭仕事。
 今日は朝から、梅の収穫作業です。
 今年は、どうしたことでしょう。鈴なりです。
 取っても取ってもまだまだあります。上の方の枝にも見えていますが、取れません。
 たった一本の梅の木が、太陽と大地から吸い上げたエネルギーで、これほどの実を生らせることは自然の恩恵としか言いようがありません。
 人間の成せる仕事の小ささを思い知らされます。
 古代、縄文時代は一万年の長きにわたって、平安な暮らしが続いたといいます。それは、森の恩恵を分け合うことで生活できたから。争い事がないほどに、豊かな森が人間のいのちを守ってくれたからだといいます。
 照葉樹林を守ることに一生をかけた郷田實さんの「ごらん、あの山のあの木は、誰も耕さず、肥料も与えないのに毎年たわわに実をつける。自然の力とは素晴らしいものだ」(「結いの心」より)という言葉が、森の存在の意味を教えてくださっています。
 植物は移動しないという手段を選択することで、自然を守っています。進化しなかったのではなく最高位に進化したのです。
 ありがたいことです。
 
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 今朝の散歩で見つけたのは、「ギンバイカ(銀梅花)」です。
 雄蘂が人目をひく白梅の趣をかわいらしく思いました。
 調べてみたら、なんと、柳の枝や月桂樹と共に古代の医師に処方されてきたとのこと。成分はサリチル酸ということですから、柳と同じですね。「あっちが痛い、こっちが痛いは生きてる証」とはいえ、そこを助けてくれる”痛み止め“こそ人間の必携薬であることは、今も昔も変わりないようです。
 銀梅花の枝は結婚式にも使われるといいます。月桂樹と銀梅花で作った冠なら花嫁の清らかさを際だたせることでしょう。そんな神聖な祝いの木と出会って、今日も元気になれました。
 泰山木もまだ咲いています。クチナシは梅の香りと競い合っています。
 さて、午後からはアジサイの挿し木と薔薇の誘引とドクダミの採集。どれにしようかな。計画倒れになりませんように。