こころあそびの記

日常に小さな感動を

光と風と水と

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 朝日の当たる水紋によって、出水鉢に沈められているビー玉の色が揺らめいていました。
 その光景を美しいと足を止める余裕が、今日も健やかである証だと思っています。

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 喜怒哀楽。
 爆発するような喜びごとは、この年には起こりません。静かにじんわり幸せに思えることが喜びのように感じます。
 怒。これは若いときの特権かもしれません。なんといっても、エネルギーの要ることですから。
 哀しいことは、いっぱいありました。それさえも今はいい思い出です。
 来し方の楽しかったことよりも、今日の楽しい気持ちがうれしく思えます。
 人並みにいろいろなを経験してきました。なのに、その時の感情を細かく思い出せないのです。人間は忘れるから生きていける。その通りだと思います。あんなこともあったなぁとほんわか振り返る時、幸せを感じます。

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 さて、ラジオでリンゴさんと百子さんが「なるほど」の使い方について話されていました。
 人の話の相づちに「なるほど」を使いすぎるのもどうなのかということでした。確かに、どこか軽い感じになるように思います。本当にそう思ってる?と。
 心理学では「共感すること」が一番大切であると教えますから、「なるほど」というのも一つのテクニックなのかもしれません。
 座学で教える共感の表現は、相手の言葉を繰り返すのです。「しんどいのです」といわれたら「しんどいのね」というように。
 心底から共感したら、そうは言わないのではと、いつも、西洋式のオウム返しに疑問を持っていました。いかにも、マニュアルっぽいですよね。
 人生で独りの人間に与えられる経験はそう多くありません。すべての経験を、同じ立場で理解する事は難しいように思われます。せめて聞き上手でいたいものです。
 写真にある「苦しみや悲しみも味わう心が思いやりのある人柄をつくる」という言葉。
 苦しみにも、悲しみにも捉われない健やかな心が懐を深くすると言い換えられる気がします。