天文学では、太陽の視黄経が270度になる瞬間を「冬至」と定義する、とあります。
なるほど、だから上の写真にある中国の冬至は21日深夜で、その東の日本では22日になっているということなのですね。決して、こっちの方が早い!という意味ではないことに安心しました。
昔の人が冬至を知る方法は、太陽が南中したときの日影の長さを測ることでした。そして、一番長くなった日が冬至と定められたのです。
現代人は影の長さを見ることもなく忙しく生活していますし、子供でも影踏みなんて遊びを知らないのではないでしょうか。
でも、影は天の動きを知る最高の尺度です。近ごろ忘れている影くらべ。孫も成長したので、いつまでも私の勝ちともいえなくなってきました。一番小さくなる日も近いかな。
冬至は陰の極まる日です。
高緯度の地方、北極圏では太陽が上らない極夜になります。そんな事態を怖れたすべての人の願いは、太陽の復活です。
世界中で、太陽の誕生を祈願する行事がみられます。
荊楚歳時記によれば、「冬至、日の影を測り、赤豆粥を作る」とあります。
赤豆粥を作るのは、赤色の陽気を畏れる疫鬼を払うため。つまりは、無病息災を祈ってこのお粥を食べだそうです。
冬至は陰の底ですから、ここから陽気が射してきます。本当に暖かくなるには、寒中を越えなくてはなりませんが、太陽は一日一日日脚を伸ばしていきます。
一日の二十四時間日脚のぶ 稲畑汀子
現代中国では、冬至には餃子を食べる風習があると聞きます。食べたら、お金持ちになるなんていわれるところが、お国柄ですね。
日本では「ん」のつく(運のつく)食べ物、なんきん、レンコン、うどんなどを食べて、ゆず湯に入る日といつの間にか決めらてしまった感があります。
なぜ「ん」のつくものなのか。
あくまでも、私見ですが、「ん」は漢字の「无」(無)から作られた平仮名です。「無」イコール何もない。冬至はゼロの日、スタートの日です。
古代の歳時記には、冬至は慎みの日と記録されているもの、反対に、にぎやかに新生の太陽を祝って、おめでとうと冬至賀を交わしご馳走を食べて、お正月みたいに過ごす日と書いてあるものもあります。どっちにしても。
お日様、お誕生日おめでとう。