こころあそびの記

日常に小さな感動を

大阪市立美術館にて


 ずっと走り続けてきた体ですから、急に、休め!といわれて、「それでは止まります」とすんなり受け入れることは難しいようです。
 クラッチの入れ間違いでエンスト起こすくらいなら、しばらくはアイドリングを続けてみようかと思っています。


 そんなことで、今日は天王寺大阪市立美術館に出かけました。
 この秋から三年間も休館してリニューアルするらしいので、この雰囲気を好んだ者としては見納めと思って行ってきました。
 大量の所蔵品にびっくりですが、それらを写真に撮り放題というお得感満載の展覧会です。

 米 芾(べいふつ)(1051~1107)の草書です。ここまで恬淡の筆使いができたら書くことが楽しくてしようがなくなりそうです。

 褚遂良(ちょすいりょう)、653年の作です。
 玄奘三蔵がインドから持ち帰った仏典を翻訳し大雁塔に納めることになったとき、太宗から賜った序文を清書しています。
 学生時代、書道部の先輩方が臨書されていた美しい字体です。
 

 表裏を写してきました。

 裏側の上部に、太陽の中に三本足のカラスが、月の中にカエルがいます。『淮南子』の月日説話だけでなく、古くからの伝説です。

 日本も神武東征の折に、三本のカラスが神武天皇を導いたとされ、熊野本宮大社の御守りになっています。また、Jリーグのシンボルマークでもあります。
 日本が古くから中国の影響を受けていたことを知ることができます。

 たくさんの宝物を見て回って、いつも思うことがあります。
 こんなこと言ったらヘンな人ですが、書画工芸、芸術全般に秀でた人はこの世の一代で成ったわけではないだろうと。
 絵を描くだけでもたいへんなのに、その絵の上に、墨滴で詩を書いて、更に落款を彫って押すのです。
 このすべてを習得しようとしたら一生では足りないと思ってしまうのです。
 証人はいませんが、何生もかけて辿り着く境地があるのではないでしょうか。
 たとえ、芸術家でなくとも、だからこそ今を大切に生きなければならないように思います。
 魂の記憶は阿頼耶識に積み込まれていくと聞きます。
 今やってることが、この世ためだけではなく、明日の糧になるかもしれないと思えば、果てしない航海が楽しくなってきませんか。