こころあそびの記

日常に小さな感動を

いつの時代も変わらぬもの

 

 今日は旧暦の九月九日、「菊の節句」。

 ようやく菊の花の季節になりました。

 菊酒を飲んで、無病息災を願う日といわれますが、昔は単に杯の中に菊を浮かべたものではなかったようです。

 菊、地黄、クコ、もち米などを密封して発酵させて作ったお酒とか。この菊花酒は、「筋骨を壮にし、随意を補い年を延ばし、寿を益し老に耐えしむ」とあります。

 今も昔も、無病息災と長寿が人々の願であることに変わりがないようです。

 

 

 時代が下って、社会は成熟して、生活はより便利になって、町もきれいになりました。

 そこに住まう人の精神も洗練されて、おしゃれにスマートに生活することに熱心です。

 なのに、いのちに対する考え方は大昔の人が願った不老長寿と、さほど変わりがないように見受けられます。

 

 

 先日の日曜日の読売テレビそこまで言って委員会』に、尼崎の長尾和夫先生が出演されていました。

 カラオケがご趣味というだけあって、マイク通りのいいお声でお話されていました。

 ただ、言いたいことを押し殺しておられる物言いが伝わってきて、観てるこっちが心苦しく思ったことは残念なことでした。

 

 先生は阪神大震災を経験されて、勤務医から町医者への変更を決心されました。

 なぜかというと、緊急事には後手後手になる公の力よりも、素早い判断が可能な個の力が威力を発揮できることを痛感されたからです。

 この春に、ご自身のクリニックの名誉院長になられましたが、外来に週三回は出て診察を続けておられます。

 先生監修の映画『痛くない死に方』は若い人達にも大きな影響を与えました。痛くない死に方とは、尊厳死であり、自然死、平穏死です。

 それは、誰も教えてくれない死生観です。

 多くの人は、不老不死という権利が保障されてしかるべきだと未だに思っておられます。それが医療費の無駄遣いとも知らずに。

 21世紀に生きる私たちは、二千年前の人が抱いた死生観のままでいいのでしょうか。

 

 

 いつ、今朝のようなアラート騒ぎに直面するかもしれません。

 避難の仕方より、もっと大切なことがあるように思えてなりません。