こころあそびの記

日常に小さな感動を

夏越しの祓

 

 今日は6月30日。

 今年も半分が終わってしまいました。子供の時には、意識することもなかった時間の経過なのに、今は、その速さに急かれる心地がします。

 しかし、もう半分、まだ半分と申します。

 まだ半分あると楽観して、ゆったりと過ごしたいと思います。

 

 ゆとりをもって過ごすためには、一にも二にも健康でなくてはなりません。

 そのために、半年を無事に過ごせたことへの感謝と、残り半分を息災に過ごせますようにと祈る。先人のしてきた行事を大切にしたいと考えます。

 

 

 まず、食いしん坊が6月に入ると直ぐに買いに走るのが「水無月」です。

 京都まで走りたいのはやまやまですが、足の具合を考慮すると思いとどまることにして。

 そこで、先日、梅田に出た際、阪急百貨店地下の「仙太郎」の列に並んでゲットしてきました。

 「水無月」は、冬に仕込んだ氷を、真夏に氷室から出して宮中に納めたことが発祥と云われます。

 そんな贅沢ができない庶民に、気持ちだけでも涼やかにと、氷の欠片に似せてつくった三角の外郎に魔除けの小豆を乗せて作られたのが水無月です。

 私は、これが大好物ですから、夏が去って水無月が店頭から消えると、たまらなくわびしくなるほどです。

 夏といえば、「水無月」。

 いつまでも、セットで味わいたいお菓子です。

 

 

 今日のメインイベントは「夏越しの祓」です。

 半年の間に、身に付いた邪を祓って、後半の無病息災、厄除け、家内安全を願います。

 近年、徐々に伝統行事が復活しつつあるように見受けられるのはうれしいことです。

 それは、若い人たちに知ってもらう努力もさることながら、何よりも、世の中が落ちついているからできることだと思っています。

 ありがたいことです。

 

 

 各神社に設えられる「茅の輪」をくぐって、お祓いをします。

 なぜ、茅(ちがや)の輪なのでしょう。

 それは、茅の鋭い葉っぱで、手を傷つけた経験がおありの方ならお分かりになることと思いますが、茅の葉っぱで邪気を断ち切るためです。

 ですから、茅でないとだめなのです。ちなみに、注連縄も茅で作ります。

 輪っかにするのは、邪鬼を締め上げるため。

 箕面は萱野という地名があるほどですから、昔は茅が生い茂っていたことが推察できます。

 地名とともに大切にしたい自然です。

 

 

 大昔から、人々を脅かすものは変わりません。

 先日から、見始めた中国ドラマは北宋の時代といいますから、1000年以上前のお話です。

 黄河の氾濫による水害。

 その後に起こる疫病の蔓延。

 自然の脅威は堤防を決壊させ、疫病の蔓延の食い止めが隔離だったことも今と同じでした。。

 自然の猛威を鎮めるために、人間にできるたった一つの方策が祈りです。

 

 

 邪鬼を近づけない生き方。

 それができている人を観察すると、邪鬼が眼中にないように見えます。たとえそばに邪鬼が来ても気づかない人からは、邪鬼が退散していくのではないでしょうか。

 その方法は、にこにこ笑顔です。

 怪しげなものに、とりつく島を与えなければ、無病息災に生きられると証明してくださっている方が、私の周りにもおられます。あやかりたいものです。

 

 

 今年の後半が始まります。

 健やかに過ごせますように念じて、近くの神社に茅の輪くぐりに行ってきます。