こころあそびの記

日常に小さな感動を

初日の出

 

 明けましておめでとうございます。

 

 

 夜明けと同時に、氏神様に初詣。

 

 

 そばの地蔵堂も、きれいにお掃除されて千両がお供えされていました。お地蔵様のみならず、お世話くださった方々にも手を合わしたことです。

 

 

 息子の釣果を塩釜焼きにした鯛。

 

 

 お弁当屋さんができそうでしょ(笑)

 

 

 お祝いの後は、みんなで恒例の書き初めです。

 家族だからこその遠慮ないチャチャ入れで、また、盛り上がります。いつの頃からか、お正月のメインイベントになりました。

 「さぁ、書き初めしようか」という突然の号令に従って、「なに書こうこかな」と迷いながらも筆を運んでくれる子たちです。

 いつまでも子どもと思っていた初孫が、目標をしっかり表現できるようになってきたのを確認できることも頼もしい限りです。

 

 

 遠方から帰ってきた者もいるので、思いつきで選んだ初詣先は出雲大神宮でした。

 

 大国主命と兎が向かい合う絵馬とご神水は、癸卯年にぴったりです。

 

 「日本一の縁結びの神様」と書いてあるのを見つけた一人が、「私らは、もう関係ないなぁ」と話したので、それを聞きつけた他の子どもが「違うよ。縁は大切やで」としたり顔です。

 

 前々から此処に行こうと計画して来ることになったのと、たまたま来たところが此処だったというのは、どこか違います。

 後者の方が縁という意味合いが濃いように思えます。

 長い人生において、出会いのなんと大切なことでしょう。

 良縁も悪縁も取り混ぜて、この人生は縁でかたちつくられていきます。

 

 できることなら良縁に恵まれたい。

 しかし、望むレベルの人に出会いたければ、自分が努力してレベルアップするしかない、とどこかで読んだように記憶しています。

 つまり、良縁は最終的には、自分で手繰り寄せるしかないようです。

 

 それなら、神様詣での意味がないように思われるかもしれません。

 でも、悪縁に取り付かれないために、「清めたまえ祓いたまえ」と唱えて神さまにお見守りをいただき、我が身を清浄にしておくことが最強の厄除けになることは古来から人々が信じてきた方法です。

 ここは、信ずる者こそ救われる、に賭けてみましょう。

 

 

 本年が皆様にとって良いお年でありますように。お健やかに幸せに過ごせますように祈りあげます。