こころあそびの記

日常に小さな感動を

日本橋

 

 今日から8月です。

 朝早く、高校生の孫が東京研修に出発しました。

 都を見てみたい。

 若い人の夢は、そこから始まるというのが今も昔も変わらないことにクスッとしました。というのは、母から聞いた話が思い出されたからです。

 

 急逝した祖父に代わり、祖母が頼りにしたかった長男は、その時まだ高校生でした。

 当時、経営していた工場を続けるには、女手では心許なくて、継いでくれないかと打診したら、嫌だと応えた息子。彼には進学したい気持ちがあったのです。

 

 なのに、曾祖父の、「東京見物に連れて行ってやる」という一言で、覆って家業を継ぐ決心をしたと聞いています。

 真偽のほどは、今となっては確かめようもありませんが、花のお江戸が若人共通の出発点であることを、面白く思って見送ったことでした。

 

 

 今般、東海道の起点である日本橋の改良工事が発表されました。

 去年、お上りさんしたとき、日本橋の欄干の麒麟像や獅子像をカメラに納めようにも、絵にならなくて苦心しました。

 この景観をどうにかして美しいものにできないかと、長い間、誰もが願ってきたことがようやく実現に動き出したそうです。

 日本橋を鬱陶しくしていた首都高速道路を川の下に埋めるだなんて。五十三次を行き交った先人もびっくりでしょう。

 バーチャルで完成後の絵を拝見しました。広々として日の当たる橋の上。この絵が、いつか現出する日が楽しみです。

 

 因みに、この獅子像のモデルは、奈良の出向山八幡宮狛犬だそうで、そうと知ると、お尻がむずむず。また出かけていきたくなってきます。

 

 

 同じく“日本橋”と書きまして、「にっぽんばし」と読むのは、大阪の南にある地名です。

 近頃は、電器店街として、日本人だけではなく海外からの旅行者もたくさん歩く町になりました。

 

 さて、昨日の夕刊で、久しぶりに成瀬國晴さんをお見かけしました。

 その記事の中に、「私は、昭和11年日本橋の『むかでや』という旅人宿で生まれました」と、ありました。

 きゃー。おばあちゃんの家のほん近くです。

 成瀬さんはおん年、87歳ですが、私の子どもたちが小さかった頃は、第一線で活躍中の絵描きさんでした。似顔絵や、お相撲さんの絵なんかも、描いてもらったことがありました。

 その成瀬さんの出版されたご本は『オダサクアゲイン』ですって。

 出た!織田作之助

 母の兄が高津の同級生で、家によく遊びに来ていたから、母は気安く「さくちゃん」と呼んでいました。

 織田作之助は、成瀬さんより十歳ほど年長だと思います。それでも、よき時代の南を語るには、彼を避けては書けなかった。あるいは、成瀬さんも、南を徘徊していたオダサクの逸話をたくさんご存知かと拝察します。

 どんなご本なのでしょう。

 成瀬さんが描かれる大阪を読んでみたいです。

 

 

 夕飯は揚げ浸しと冷や奴。あとは、焼き物でもどうでしょう。