きのうの続きになるのですが、『デミタスカップの愉しみ』というお題の中の”愉”という字が気になっています。
こんなとき、漢和辞書が手許にあることで、こうも世界が広がるものであることに大げさになりますが、感動しています。
私の手許にあるのは、「角川新字源」です。
これは、大形先生の教授室に初めて入室した日にいただいたものです。
「こんな高価な・・」と申しましたら、
「古本屋でみつけたものです」と、返ってきました。
正価格は1800円ながら、200円という古ぼけたシールが貼ってありました。
ありがたく頂戴して、ことあるごとに引かせてもらっています。今、手持ちの辞書の中では一番の稼働率を誇っています。
思えば小学校に上がるとき、私が親からしてもらったように、子どもにも孫にも国語辞典と漢和辞典を揃えてやったものです。
ところが、これらを使う機会は殆どないままに学生生活を終えたのは、私も子も孫も同じでした。
孫にいたっては、電子辞書どころか携帯アプリなのかもしれませんね。
でも、時間に余裕ができた今では、何かにつけて辞書を引きます。それが、新しい世界を教えてくれることを知ってしまったからです。
特に、漢字辞書が面白いです。
閑話休題。
「たのしむ」。普通に何も考えなければ、「楽しむ」と書きます。
でも、きのうのお題は「愉しむ」と書いてありました。
なにが違うのか。
「楽」のもとの字は、“木に糸を張ったさま”です。琴のようなものをかき鳴らして音楽を楽しむことが昔から行われていたことは、孔子が礼・楽と重んじていることから分かります。
心を和らげる役目が音楽にあって、それが、人類の登場と同時に発生したことに音のすごさを感じます。
では、「愉」は。このもとの字形は、左側のりっしんべんは心であり、右の“俞“は木をくりぬいて舟を作るという意から、うつすこと。つまり、心をうつすことだったのです。
まさに、きのうの私です。
雨の鬱陶しい気分を変えるために、場所を移しました。そのことで、心が変わったのです。
心を移す。
足であり、足に代わってくれる自動車や鉄道などの移動手段が、いかに大きな気分転換を助けてくれていることか。
旅行に行くたのしみ。
お食事会に出かけるたのしみ。
それらは、場所を移すことで気分を転換すること。それが「愉しみ」だったのです。
ちなみに、デミタスカップとは、ご存知の通り、普通のカップの半分ほどの、小さなカップです。
そこに施してある装飾がヨーロッパの珈琲文化を彷彿とさせます。
ところが、この喫茶という文化、お茶をたのしむ文化は東洋から伝わっていったと云います。
遠い東洋がヨーロッパの人々の憧れだっただなんて。
白磁器にしても、その製法はなかなか難しいものだったようで、苦戦したようです。
18世紀初頭にようやくマイセンが純白の磁器を完成させて、いまや、私たちには高価なマイセンが垂涎の的となっています。
わずか数時間の場所の移動が、心の旅をさせてくれました。
古代中国の漢字をたどる旅。
ヨーロッパと東洋。
コーヒー文化。
それは、まさに小舟に乗って「愉しむ」時間でした。
そして、たった一字に込められた思いから推察されるのは、古人が心を大切に生きたということでした。そうありたいものです。