こころあそびの記

日常に小さな感動を

青い鳥

 

 そろそろ返却日が近づいてきたので『星の名前のはじまり』(近藤二郎著)を、読みました。

 著者の経歴を拝見すると、天文学というよりエジプト学がご専門のようです。

 どのような分野においても、その領域の権威がいらっしゃることに、いつも感心します。

 どうして、そんな分野に興味を持たれたのだろう。

 そんな単純な驚きを抱いてしまうのは凡人の証ですね。

 

 東洋の端っこにある日本に育つと、イスラム世界は遠い国々の感があります。

 しかし、文明はチグリス・ユーフラテス川で生まれたと中学で習ったように、中近東は奈良時代には世界の中心でした。

 月の暦で生活したくらいですから、天文学も盛んで、星々の名前はイスラムで生まれました。 

 その後、ギリシャ神話で脚色され、ラテン語化して、それがまたイスラムに逆輸入されたという経緯があるようです。

 例えば、オリオン座の赤い星、ベテルギウスアラビア語では、ヤド・アル=ジャウザーといいます。それが、誤記を経てベテルギウスとなったそうです。

 今までは、星を見るとき、その星の発した光にばかり思いを寄せていましたが、これからは、二千年前のアラビア半島天文学者にも敬意を馳せることにいたしましょう。

 

 

 仕事場の同僚に占い好きな若い女性がいます。

 きのうも、伊勢神宮に行く計画を話してくれました。

 あぁ、私もそうだったな。若い頃は、今でいうパワースポット巡りをしたものです。その心は、どこかの誰かが、今のこの呪縛から解放して私を幸せにしてくれないかなということだったように思います。

 

 しかし、その心の持ち方は”青い鳥”を探して、右往左往しただけだと、この年になれば分かります。

 つまり、心は外に向かっていたのです。

 チルチルミチルも、最後は“青い鳥”は傍にいることに気づきます。それまでに、どれほど長い旅をしなければならなかったことでしょう。

 気づきの旅です。

 

 

 誰かに占ってもらいたい。それは、自分を他人任せにすることであり、その姿勢である間は、旅は終わりません。

 本当に終わらせたかったら、”青い鳥“の在り方を知ることに尽きます。

 それは、占いを稼業とする人に頼ることからは得られないものです。

 

 同じことが、健康に生きたいという願望にも通じるように思います。

 東に良い健康法を求め、西に良薬を探す。

 そんなことを繰り返している間は、本当の心の安楽には到達できないと思っています。

 占い好きの彼女が伊勢神宮に行くという心に、この世の欲はないでしょうか。今日一日を健やかに過ごせていることの感謝を報告してこそ、天に通じるといえる。それを分かるには、彼女は若すぎます。

 

 

 健康に生かされていることに感謝できたら、神様の御前に行かなくても祈りは通じると思います。

 神様は常に身の回りで守ってくださっていると信じることです。

 欲呆けの健康ではなくて、この一瞬のいのちに感謝したいと念じます。