昨日、刺し子や刺繍を見てきたからなのか、突然、刺し子がしてみたくなりました。
足を運ぶことのない手芸店でも覗いてみましょうか。
なぜ、女子が手芸好きかというと、女は執念深いからと言った人があります。
なにやかやといらないことを考えることの多い女子は、一目一目縫う作業をする間、その思いから解放されるというわけです。
男女同権が叫ばれて、うん十年。
男の子も女の子も同じ教育を受けるようになりました。
技術家庭科では、男の子も針を、女の子もトンカチを持ちます。それは、生活に役立つことですから、否定するものではありません。
でも、何年か前に男子同級生が放った言葉に、さもありなんと納得してしまったことがありました。
「K高の女の子は怖い」。だから、結婚相手は私学出身の女の子にした、というのです。
女性の社会進出を押し進めるため、高学歴女子を作ることに躍起になったことで、女の子らしさより気の強さをよしとする世の中になりました。
そんな風潮にどこか疑問をもってしまうのは、古い人間だからでしょうか。
あるいは、高校に進学したときから、それ以上勉強をするなと命じた母に育てられたからでしょうか。
昔の人は知っていたのです。
男の子はもともと優しく生まれつき、女の子はもともと強く生まれていることを。
どんなに世の中が変わっても、出産と子育ては女の仕事であることは変えようがないのですから、強い精神力は生物として生き延びるために授かったものです。
反対に、男の子には、「あんたは男やろ」という言葉がけがなければ男にならないと、子育て中に教わったことがありました。
ですから、もともと内面の強い女の子の強さを助長すれば大変なことになるのです。
良妻賢母は、死語かタブーになった感があります。
かつての、それを看板にしていた女子教育の名門校も、こぞって進学に力を入れるばかりか、男に頼るな、負けるなと威勢のいいことになってます。
それなのに、若い人を見ていると、男女差別のない一色の教育を受けてきたにも関わらず、女の子はうじうじ悩みの多いことですし、男の子は一途です。
男女の個性は歴然です。
だから、教育はそれでいいんや、という論には半信半疑です。
真面目が特質の女子の教育は、どこかで手を抜いて夢を見させてやらないとだめなように思います。
私が何よりもこわいと恐れていた母のことを、見捨てなかった父を思うにつけ、学生時代に、「あいつはこわい!」と言われた自分になかったものは何かと考えてしまいます。
それは、女らしさに違いありません。
男の子は、家族を守り抜くプライドを、女の子は愛嬌を。
そんな当たり前を否定する社会の向かう先を危惧します。
両性の特長を生かす社会であってほしい。
少子化も非婚率も、そこから見直しを始めなければ、改善には至らないとみています。
社会の変容を理解できないがゆえの老婆心です。