こころあそびの記

日常に小さな感動を

懐かしい未来に会えますように

 

 今日からお弁当は一つになりました。とはいえ、孫たちは夏休みです。

 お昼ご飯が必要ですから手間は変わりません。

 食べ盛りの子どもに、宮崎名物チキン南蛮を作ってみました。

 夜明けがだいぶ遅くなって、これならいけるかと揚げ始めましたが、途中であまりの暑さにクーラーを入れてしまいました。

 今日も暑くなりそうです。

 

 

 楽しみにしていた、さだまさしさんの『話の肖像画』が今朝の回で終了しました。

 小さな怒りを持つことが生きる推進力になると、どこかで、誰かがおっしゃってたような頼りない記憶があります。

 同じ時代を生きた私ですから、彼の思いはストレートに伝わってきました。

 戦争がもたらした後遺症が今も尾を引いています。

 主役を置き去りにした教育。

 外交・安全保障。

 エネルギー問題。

 無策の政治。

 それらに“なんも言えない”国民。

 

 

 物がない時代に幸せと信じた幸福感は、すっかり変貌したように見えます。

 ところが、みんなの心の奥にしまわれている幸せは変わっていないのです。

 さださんはそんな幸せから焦点をずらすことなく、心の中の小さな怒りを歌い続けてこられたのだと思います。

 

 今日の紙面は、「懐かしい未来」という言葉で締めくくられていました。

 今は過去からつながっています。

 だから、過去に播いた種が、どんな花を咲かせるのか。あぁ、こんな花だったのかと、今、分かると。

 懐かしい未来に会うためには、長生きしないといけないと付け加えられていることを、うれしく拝見しました。

 まさに、この年になったから言える言葉です。

 

 

 東井義雄さんの言葉で、好きなのは「拝まない者も拝まれている」でした。でも、今朝、より実感できる言葉に出会いました。

 

「辛いことがあっても

 胸に手を当てたとき

 ドキドキしてたら

 『辛かろうがしっかり生きてくれよ』と、仏様の願いが働いていてくれる

  願われて生きている自分であることを  忘れないでほしい」

 

 お父さんの生き様。

 お母さんの愛。

 自分の踏み外し。

 そんな経験が種となり、人は生きていきます。

 どんな花が開くのかは 種の管理者が自分であるだけに、誰にも文句は言えません。

 

 養分になってくれた人にも、一見そうでないように見える人にも、すべてに感謝できる今が好きです。