こころあそびの記

日常に小さな感動を

いつか

 

 この海の向こうから台風が迫っているとは思えない、穏やかな波です。

 行きたかったなぁ。

 今年は、わんこのホテルの予約が取れず、私は留守番です。

 家人がいない日もいいものです。なんて、気取ってみたものの。

 朝からお墓参りに行って、布団を干して、カバーを洗って、部屋の掃除を済ませたら、あとはなにをしましょう。

 あと、半日も。せっかくの自由を持て余して、早くみんな帰ってこないかな~なんて、いつもの騒々しさを乞い初めています。

 

 

 お墓参りに行ってきたこともありましょうが、ぽつんとひとりで居ると昔を思い出してしまいます。

 先日、孫たちがお祭りに着た浴衣がかかったまま。男物も女物も、母が置いていってくれたものです。

 こんなことに触れる度に、あれだけ悩んだ母子関係はすっかり昇華されて、感謝することばかりになっていることに気づきます。

 

 だから、今、悩みの渦中にある人は、とことん悩んでいいと思います。

 今、解決できなくても、その傷は“日にち薬“、”時くすり“で、きっと治る日が来ます。特効薬は時間と空間の移動です。

 アドバイスとして使われる「いつか過ぎていく」という言葉は、かつては突き放されたように感じたものですが、今となっては深い意味があったことに感慨を覚えます。

 

 

 浴衣をに触発されて、ふと、思い出した一枚の写真があります。

 5、6歳の頃のものです。

 朝顔の柄の浴衣を着て、夕日に向かって立っているものだから、眩しそうな目をしています。

 髪はおかっぱで、ちょっと濡れてます。思うに、清潔好きの母は、お風呂に入れてから、浴衣を着せたのでしょう。

 浴衣は祖母が縫ってくれたものです。多分、柄は祖母が母の意見を訊いて選んでくれたはずです。

 今は、写真も浴衣も手元にありません。それでも、はっきりと思い出せる幸せな記憶です。

 

 

 小松左京さんの子ども向けSFショートに「未来をのぞく機械」と題するものがあります。

 手にした少年は、未来がわかるから試験で百点とれたりして、初めはウキウキできました。が、自分の未来が見えるようになって、投げ出してしまう、というお話です。

 小松さんは、未来に何が見えたのか、書いておられないところがミソです。

 見えたものが、良くても悪くても、生きる意欲、すなわち夢を喪失するのは明白です。

 おばあちゃんの手縫いの浴衣を着た小さいころの私は、人生を計画することなど考えもしない幼さでした。

 先のことは考えもしなかった。

 それこそが、「子どもには未来がある」と、大人が口を揃える理由です。

 

 ”いつか“は”いつか“だからいいのだと思います。