こころあそびの記

日常に小さな感動を

虹がでた!

 

 洗濯物を干しに出た娘が、「ニジ、ニジ!」と叫んでいます。

 バタバタと戻って来て、「虹やよ!」と教えてくれました。

 西の空に消えかけた虹の欠片。

 断片であっても虹と出会えて、何かが胸に広がるひとときはかけがえのない幸せです。

 

 天地真理さんの『虹をわたって』に出てくるように、虹を見たら誰かに教えてあげたくなります。

 歌では、「話すことなどないけれど、きれいな虹のことだけ言えば、私の想い伝わるかしら」とあります。

 電車に乗ってるときなど、自分が見ている窓の外に虹が見えたら、こっちを向いて座ってる人に「虹が出てますよ」と言いたくてたまらない気持ちに駆られてしまうお節介婆さんです。

 

 

 

 娘のお友達が送って下さった今朝の虹の全貌です。

 壮大な自然の作り出す天然の現象。

 

 下側の虹を主虹といい、上側の虹を副虹というそうです。

 うわぁ、二重虹が見えた!と、喜びは倍化しますが、よく見ると、赤橙黄緑青藍紫が反転していることが分かります。

 科学的にこの仕組みは解明されているようです。太陽-水滴-観察者の三点が40~42度のとき主虹が、51~53度のとき副虹が見えるそうです。

 雨粒の範囲も、太陽の高度も刻々と変わっていきます。だから、虹は儚いのです。娘と喜び勇んで携帯カメラを向けていましたのに、あっという間に消えていってしまいました。

 

 不思議なことです。

 虹を見る。そのことが心を動かしてくれます。眠っている何かを起こしてくれます。

 つまり、夢は、虹にあるのではなく、誰の心の奥にも仕舞われているものということです。

 それを思い出させてくれるもの。それは、若人なら好きな人でしょう。そして、それが遠い幻影になってしまった年寄りにだって、あの日の温度を思い出させるのが虹です。

 

 

 近頃行く美容院の窓に、波打つ変わりガラスがはめ込まれていて、私はそれを見るのが好きです。

 じっと、窓を通して空を見ていると、若いスタイリストが言います。

 「この窓が好きとおっしゃってましたね」

 「あきないですね」

 「僕は、外が見えることが辛い日もあります。雨の日とか」。

 外が見えない均一の毎日は、人間を腐らせます。雨の日があって、晴れの日がある。体がおのおのに反応する。それがいいんだよ。

 なんて、言いませんでした。これからの人生で彼なりに経験することですから。

 

 

 朝虹は雨の前兆のはずでした。

 でも、予報に反して雨は降らず、西に傾く太陽の光が雲を美しく輝かせています。それが見られることも幸せの一つです。