こころあそびの記

日常に小さな感動を

晩夏に咲く

 

 花が咲くから、虫も人も近づいてくれます。

 よりにもよって、真夏を過ぎて咲き始める花が百日紅や芙蓉です。

 他の花が終わった公園で、ひときわ咲き誇って、訪れた人の心を潤してくれています。

 それが、私のお仕事ですといわんばかりに。

 

 

 こないだ会った一人の男性の言葉が引っかかっています。

 「その話を聞いて、楽になりました」。

 私の手前勝手な話の展開に、そんな馬鹿な話と突き放されることがほとんどです。

 なのに、その日の彼には刺さったのです。その言葉は、「自分の体は、そうしたい理由があって、その症状を起こしている」という部分ではないかと推察します。

 それは、西洋科学偏重の行き届いた教育のせいかもしれません。

 血液検査と機械的画像診断。

 それで病気のすべてが分かるという思い違いが蔓延してしまいました。

 数値がすべての医学が、人間という生きた生物から、生きる自由を奪うなんて誰も考えもしませんでした。

 しかし、最初に「楽になった」と言った彼は、生老病死の本質に少しだけ気づいたのだと思うのです。

 

 

 なぜ、年を取ると血圧が高くなるの?それは、血管の壁に不要なゴミが溜まって細くなるからです。

 細くなったら、圧力を上げないと、目的器官まで、血液を届けることはできません。

 それなのに、不用意に血圧を下げると、脳に到達できないということが起こります。

 体が、脳に届けたいと上げた血圧を人間側の判断で下げる。数値は下がるけれど、全体のバランスはどうなの?認知は大丈夫?という話になります。

 

 ゴミが邪魔。高血圧の弊害。

 だったら、それらを薬の力で一掃しようというのが、西洋医学です。

 反対に、体の側の意見も聞いてあげようよ~というのが東洋的な考えです。

 本来は、これら両輪を教えるべきですのに、今は片輪走行です。

 両輪を、自分なりにバランスよく理解することで、より良く生きられるのではないかと思っています。

 

 

 先日、三浦雄一郎さん(90)が富士登山を成功させたというニュースが報じられました。

 あれだけの偉業を果たされた方ですから、医者の見解も十分に考慮されたはずです。

 それでも、どうしても登るんだ、「登ったら自分はどうなるかという好奇心」を抑えられずに、ヘルパーの手は借りたものの、登頂できてしまいました。

 希望は数値を超越できる。

 数値で生きているのではないという証明をしてくださった一例でありましょう。

 彼が拓いてくださった道が、後に続く者に示唆を与えています。

 

 数値だけ見て、追い込まれる必要はないのに行き詰まってしまったから、「楽に」という言葉が出たのではないでしょうか。

 もっと自由に自分を生きていいのではないか。

 そうなんです。ただし、これを決行するにあたって、条件が一つあるとすれば、それは、「潔さ」です。

 自分が決めた道だから、独り進むのは当たり前と思い定める強さが要ります。この世に生きる課題の一つです。