こころあそびの記

日常に小さな感動を

親のおや、そのまた親をたずぬれば

 

 シジミ蝶は小さいばっかりに昆虫採集の的にしてもらえず、かわいそう。

 そう思っていましたところ、この蝶が意外に美しいことを、先日行った今森光彦さんの写真展で教えられました。

 それからです。興味を持って見るようになったのは。

 今朝も十頭くらいで乱舞していたところを撮ろうとしましたが、なかなかファインダーの中に入ってきてくれなくて、やっとのことで写真の片隅に収めたのがこの子です。

 

 

 今朝の『らんまん』で語られた牧野ご夫妻の会話が素敵でした。

 

 「植物見てたら(この感動を)誰かに渡したく(伝えたく)なる」

  「そんなあなたが好きです。あなたの心はいつも明るい方を向いている」

 「わしは草花の精じゃ。日が上ったら元気じゃ」

 

 自分が伝えたいことを変えずに生ききる一途さ。もう憧れるしかありません。

 

 

 話題が突然変わってごめんなさい。

 先日、瀬田に行ったとき、線路の向こう側に神社の屋根が見えました。

 その厳かさに誘われて行ってみましたら、「萱野神社」と書いてあるではありませんか。

 きっとこのあたりは瀬田川にも近いことから昔は萱が一面に生えていたことが想像できます。

 そして、我が町箕面にも萱野という地名があることから、萱の神様に招かれたご縁をうれしく思った次第です。

 

 沿革は古く、第九代開化天皇をお祀りしている由緒ある神社でした。

 本殿の前に立つとサワサワといい風が吹き抜けて、参詣を喜んでくださったように感じました。

 

 

 このあたり、琵琶湖の南側は坂上田村麻呂と関わりのある土地柄。ここから少し東に行くと田村神社という立派なお社があります。

 東北征伐に行った話しか教科書には出てきませんが、本当はたくさんの武勇伝を持つ人であることを、こんな神社巡りで知ることができます。

 

 

 境内にこんな遥拝の石碑が立っていました。

 丁度、オリックスバッファローズの宮城君が先発登板する日でしたので、“宮城”という字を見て、「どうか勝てますように」と念じてしまったお馬鹿さん。

 坂上田村麻呂の向かった奥州の方角だったことに、直ぐ気がついてお謝りしたことです。

 

 

 この古歌は、いつか聞いたことがあります。

 

 「  親のおや

  そのまた親をたずぬれば 

  此の氏神

  おわす大神  」

 

 私が境内に居た間、平日の昼間にも関わらず、男性も含めて数人がお参りに来られていました。

 このあたりの人が特に信心深いわけではなく、日本人にはあたりまえの行為でありましょう。

 それは、親もその親もしてきたから引き継がれていく文化というつながりです。

 自分も引き継ぎ役の年齢になったことを感じる今日この頃。

 

 

 牧野博士のように後の世に渡せる持ち合わせはなくとも、日本という奇跡の国の平和な雰囲気を子孫に残してやる努力を惜しみたくないと念じています。