なんと気持ちのいい朝でしょう。
もう一歩進んだとき、左の方から雀の大群が飛び立ちました。待っているんですよね。今日か明日かと。
まだまだ。焦らなくても、稲を刈る日は近そうです。
金曜日の夜。
チコちゃんになんとかという番組は観ないのですが、「秋の空」という言葉の誘惑に負けて観てしまいました。
そう。雲があるから、空が高く美しく見えるのですよね。
遠く大阪平野に乗っかる白い雲。
早朝でなければ見られない現象に見惚れて写真を撮りました。
土手をよく見ると、名もなき草に隠れてかわいらしい秋の花が咲いてました。
これは、ツリガネニンジン。
長く突き出した雌しべを握って釣り鐘を突いてみたくなります。
コマツナギ(駒繋)。
オオバクサフジ。
ノブドウ。
素人がGoogle検索してのことですから、草花の名前は間違っているかもしれません。それでもいいんです。この鬼の目が見つけた可愛いい花たちと交流できたことがうれしい朝でした。
一昨年、小説家、半藤一利さんが逝去されたあと、しばらく墨子がブームになったことがありました。
半藤さんが墨子の思想を高く評価されていたので、購読した記憶は残っています。
どんなことを説いた人かというと、非攻と兼愛と云われます。
一つ、攻めないこと。つまり、専守防衛です。
二つ、全ての人を等しく愛すること。博愛主義です。
これだけ聞くと理想郷です。
『imagine』の世界観です。
もし、これを二千年以上前に人間が受け入れて習得していたなら、今頃は平和な世界になっていたことでしょう。
しかし、人間には、いまだに越えなければならないハードルが続いていますから、墨子は存在感の薄い思想家になってしまいました。
人は生まれて来たときは、シンプルな聖なる存在です。
成長するに従って、悩みや苦しみを味わいつつ、複雑な人間社会を経験します。
そして最期は、生まれた時のように安らかに昇天を目指します。
この過程は変えようがありません。
地球上の全人類が非攻や兼愛を受け入れられる人格になれば、この世は天国です。
簡単にそうならないのは、一人前になるためには人格陶冶も必要だからではないでしょうか。
赤ちゃんの時のシンプルさと、最期のシンプルさは、同じシンプルさでも異なるものではないか。同質では生きた意味がないようにも思えます。
平和への解決策が見つかるのはいつのことか、とため息をついて思考停止していたら、『NHK素人歌合戦』が始まりました。
人生は歌合戦みたいなものと思いませんか。
自分で手を上げて舞台に立ち(出生)、自分で選んだ歌を思いっきり歌う(生ききる)。
難しいことはさておき、力の限り歌えたらそれでええやん。
亡くなったおばあちゃんも聞いてくれているはず、といった参加者もいました。
応援してくれる全ての人にありがとうの気持ちで歌い続けることが生きること、という単純さを思い出してホッとできる大好きな長寿番組です。