こころあそびの記

日常に小さな感動を

老いても

 

 昨晩は全国で中秋の名月が拝めたようです。

 煌々と上ってきた月。うれしくなって月を追いかけて、宵のそぞろ歩きを敢行。

 双眼鏡をのぞき込むと、目がつぶれそうな光の束に、思わず目を伏せてしまったくらいです。でも、その光にも負けず、天頂には、夏の大三角の星が輝いて見えています。

 遠い遠い旅の最終地点が私の眼の中であることを、申し訳なく見上げたことでした。

 

 

 帰ってきたら、娘と孫のお手製団子ができあがっていました。

 「今日はきぬこし豆腐を入れてみてん」とのこと。

 SNSなどを駆使して、ちゃっちゃと作る手技に感心します。なるほど、しっとりして、しかも噛みごたえもあるお団子でした。

 

 

 昨日、箕面市主催の「健康長寿を実現するためには」というテーマのお話を拝聴してきました。

 私自身は、老化は受け入れるものであって、抵抗するものではないと思っています。

 ですが、なにか花梨の会のメンバーに有益なお話が聞けるのならと、参加したわけです。

 誕生、成長、老化。

 変えることのできない過程です。

 講座の中では、「認知症」が大きなウエートをもって話されました。

 しかし、一昔前までは、年をとったら惚けるのは仕方ないと受け入れ、忘れていくのは神の恩寵とさえ思われたものです。

 高額な薬が認可を受けたと報道されています。効果の有る無しは不明なのに、服用希望者が多いからという理由でスタートです。

 

 講義の中で、それ!と納得した話は。

 とある外国の長寿者を死後解剖したら、脳の萎縮は酷く進んでいた。にもかかわらず、百歳を超えて普通に生活できていた。

 ですよね。これですよね。

 頭を使い続ければ、脳の状態がどうあろうと関係ないのです。

 人間が触れる範疇を遥かに越えて、どなたかが見守ってくださっている。そう信じて、毎日を生きておればよいのだという安心感を得ることができました。

 そんなこというお前。いつかバチ当たるぞ。

 当たったら当たったまでのこと。

 受け入れましょう。

 

 

 帰宅して、ポストを覗いたら、今、習ってきたことを証明するかのようなお便りが届いていました。

 「花梨の会」のメンバーのお一人からです。

 循環器系のご病気を発症されて一年になります。

 秋空とコスモスが揺れるハガキに、ぎっしりと近況を伝えて下さる内容でした。

 「毎日、デイサービスのリハビリに行ってます 一年間以上になります そこの先生に毎日きっちり10分間お世話になり 筋トレに励んでおります 本当にちょっとずつながら足の筋肉がついてきて杖は手放せないものの足元がしっかりしてきました 毎日毎日 必死に歩行します」

 娘に読み上げながら、涙しました。

 「なんていい人ばっかりなの?」

 娘に「花梨の会」のメンバーの素晴らしさを褒められて嬉しく思いました。

 あらためて、どうあろうと今日一日をがんばって生きることに尽きることを、文面から教えられました。

 田中さん、ありがとうございました。このお葉書に綴られたお心を、時に思い出しながら生きていきます。