この町が夕日に赤く染まる時刻に間に合いました。
しばらくして、さっきまで明るく照り輝いていた町は、夕陽が五月山の陰に隠れると同時に闇の中へ沈んでいきました。
遠く鴇色に染まった空の下の住人は、今ごろ、夕焼け空を見ているのかしら。
安穏の時間を優しく包む夕空です。
今日もお疲れさまでした。
カーラジオから流れてきたのが、「鉛筆」のお話だったので聞き耳を立ててしまいました。鉛筆の硬さが話題でした。
繁用される「HB」とは、“Hard Black“のことだったんですね。初めて知りました。
思い出すのは、私の小学校一年生の担任の先生です。昔の教師は、書写をとても大切にしてくださっていました。
今でいう8マスノートの一行目に、毎日、赤鉛筆で書いて下さるお手本を見ながら練習します。下敷きはプラスチックではなくて、ボール紙です。
その方が滑らないし、しっかり力を入れて書けるという理由からです。初めて鉛筆を持つ子どもには、筆圧を体感させることがいかに大切かということだと思います。
小学生は2Bあたりから始めると思うのですが、多分もっとやわらかだったのではないかしら。ノートに触れる右手の側面が真っ黒になっていましたから。
そのノートは、毎朝、先生のデスクの上に提出します。それを、一冊一冊添削する先生の周りに集まって、様子を見守るのが子どもたちの日課でした。毎日、一日も休むことなく続けて下さいました。
字を書くことが好きになったのは、一年生のとき、森田先生にご指導いただいたからだと思っています。感謝。
閑話休題。
ラジオのアナウンサーの方が、
「そこから学年があがるに従って、硬い鉛筆を使うようになるんですよね。それで、Fとか使って、いきってみたりして」と言うと、
「私も使った!F。ありましたよね」と、女性アナが応じる声。私も!と私。
「そうなんですよね。僕らの頃は鉛筆の硬度が硬くなることが成長だったのですが、今は違うらしいですよ」
「えっ?どういうこと?」
「今は、学年が上がるにしたがってBの数が増えるそうです。2Bどころじゃないらしい」・・
全部は聴けなかったのですが、その話に現代子ども事情を聞き取ったのは私だけでしょうか?
そうなった理由として考えられることは。
先ず、鉛筆を持ち始めるときに、筆圧を十分に練習せず、早くからシャープペンシルを持ってしまうことが、それを助長しているのではと危惧します。
さらに、五本の指をグッパする機会が減ってしまったこと。
それは、お手伝いする時間のない生活や、iPad操作だけで事足りる指の使い方などたくさんの原因がありそうです。
手指の力が要らない生活がいいことなのかどうなのか。
これも一つの社会変革なのでしょうか。
実はこの私め、このところ、今まで使ってきたHBを、最近、2Bに替えたばかりなのです。
指に力が入りにくくなったのか、目が悪くなったためなのか分からないのですが、自分の書いた字が見にくいのです。
老化とは、こんなことからも忍び寄るものなのですね。
確かに、鉛筆の硬度をやわらかくすると、字が濃くなって見やすくなりました。それから、ちょちょっとノートに落書きするときも、力を入れずに描けるので助かっています。
今の鉛筆の繁用硬度は、HBではなくて2Bらしいと聞いて、老化という全く別の意味ではありますが、時流に乗っていると喜ぶべきなのでしょうか。