こころあそびの記

日常に小さな感動を

色即是空

 

 関東では、このところ11月とは思えないほど高い気温の日が続いているようです。

 今朝のニュースで、富士山の冠雪が溶けてしまったという映像には驚いてしまいました。初冠雪を含む真っ白な雪を纏っていたのに。

 このぶんでは、野山が燃えるように色づくまでには、しばらく時間がかかるのではないでしょうか。しかも、葉っぱは酷暑で傷めつけられていますから、どれほどの元気が残っていることやら。

 

 

 昨日の護摩供養で、久しぶりに「般若心経」を唱えました。このお経はどの宗派でも唱えられます。

 若かった頃は、お寺に行って「般若心経」を唱えておられるご老人を見かけると、いつか、ああなりたいものと思ったものです。

 我が家は、大阪大空襲で焼け出された父と母でしたから、「神も仏もあるものか」と漏らすような、信心深さとは無縁な家族でした。

 そう言いながら、お寺さんが毎月、仏壇に参ってくださっていましたし、親鸞さんの「正信偈」は抑揚よろしく唱えることができた父はご愛嬌でした。

 

 

 昨日、山伏の皆さんの先導に声を合わせていたら、長らく忘れていた「色即是空 空即是色」という箇所が心に引っかかりました。

 「般若心経」はすべての教えを凝縮したものといわれます。

 つまりは、仏教のエッセンスです。

 「色即是空」とは、形あるものに執着した思いが、あるときそれは空であったと気づくことであり、思いの転換です。

 翻って、それは則ち「空即是色」。果てしない虚空にすべてがあるということです。

 この部分は、一人一人が自分なりに、自分の経験に即して解釈してよいところだと思います。

 

 

 健康を東洋医学の面から考えてみることに心を傾けている者としては、この「色」には、体や薬といった実体を当てはめ、「空」は、“気”という目に見えないものに置き換えてみたくなります。

 水鳥が水面下の脚を懸命に動かしているからこそ、優雅に水面を滑っているように、目に見えないところの虚実が、目に見えるところに現れ出るという例は身の回りに転がっています。

 では、何をどう考えたら、目に見える健康法や薬に頼ることなく生きられるか。

 ほんとうの養生とは、何事にも感謝できる習慣を身につけることかと思ったりしています。

 しかし、これじゃ、一般の人への説明にはならないというところが、ジレンマです。