こころあそびの記

日常に小さな感動を

祝1000回!

 

 一晩で、山の色づきが急に進んだように思うのは私だけでしょうか。

 午後から、冷たい北風が吹き荒れて、木の枝に残る葉っぱが震えています。最後の一枚も吹き飛ばされたら冬景色。そんな日が近づいています。

 今夜、大阪も木枯らし一号が発表されることでしょう。

 

 

 このブログ。昨日、ようやく連続1000回に達しました。

 千日回峰のまね事から始めた日記ですから、止めてもいいのに止められないわけがあります。

 それは、怠惰な自分を戒めるため。

 子どもを生んだあとは女を捨て、仕事を辞めたら生きる気力をなくし、することがなくなるたびに劣化すること甚だしい人間なんです。

 私には暇ほどの毒はないようで、貧乏暇なしが丁度よいようです。

 

 

 ところで、『こころあそびの記』という名前についての説明をしたような、してないような気がします。

 これは、『荘子』逍遥遊篇の「逍遥遊」という言葉を、福永光司先生が「こころあそび」と訳されていることに起因しています。

 福永先生を初めて知ったのは、NHK『こころの時代 ~宗教・人生~』でした。

 大分県中津に戻られた晩年の先生が老荘思想をわかりやすく解説する番組でした。いまでも、アーカイブで観られる伝説の番組です。

 その後、大形徹先生にご縁をいただき、『荘子』の講義を拝聴することになるとは、その頃は思ってもみないことでした。

 

 福永先生は1918年生まれでいらっしゃいますから、戦争から逃げられない世代でした。

 京大を卒業したあと、入隊されました。絶望の中で、弱い心を励ましてくれたのは、『荘子』の逞しい悟達であったと書いておられます。

 福永先生の「与えられた境遇の中で、自己の道を逞しく進む」という言葉に、私は心から賛同ししたのです。この言葉にめぐり合ったことで、辛い日々を乗り越えることができたと心底から思っています。

 与えられた境遇を許容することと、生きるたくましさ。

 それを教えてもらった大切な言葉です。

 

 

 尊敬する先生が母校の北野高校で1950年代に奉職されていたと知るに至って、ますます心を外せない存在となりました。

 復員して間もなく、確たる希望が持てなかった日々にあって、北野高校の当直室で『荘子』を翻訳されていたといいます。

 恐れ多いことながら、その事実がますます私を喜ばせたことです。

 ですから、迷うことなく「こころあそびの記」と名付けたというわけです。

 

 

 ぼーっと生きられるほど、この世は楽ではありません。みんな懸命に生きています。

 そんな中で、自分に与えられた誠を捧げ尽くす人がいます。

 私はそんな人が好きです。

 嘘のない不器用さを愛しく思ってしまうのです。