今日は、備後町の綿業会館に行ってきました。
半年前に申し込み、七倍の倍率をクリアして当選した貴重な見学会でした。
昭和2年に東洋紡の岡常夫社長が100万円を寄付されたことから始まったプロジェクトだそうです。
昭和6年に竣工したこの建造物は、渡辺節氏が設計を受け持ち、当時は彼の弟子だった村野藤吾氏も加わって、時代の粋を結集したものです。
一歩中に入ると、世間の喧騒を忘れて時を遡ることができました。
大阪大空襲で燃え残った建物。
そう聞くだけで思い出すのは、母が話していた空襲後の大阪の町の情景です。
大阪大空襲の知らせに、上郡に疎開していた母は、疎開先の方に握ってもらった大きな白米のおにぎりを携えて、大阪駅に降り立ち見たものは、様変わりした焼け野原でした。
難波までスコーンと見渡せたと言っておりました。
そのとき、綿業会館は焼け残ったのです。それは、当時としては珍しい防火対策が施されていたからです。
奇跡的に焼け残ったのですから、次世代の人たちに手渡していけるように保存していただきたいと切に願います。
さてさて、楽しい大人の遠足を終えて、ふと、今日の”結びの一番“が気になり出しました。
11勝2敗同士の「熱海富士 対 霧島戦」です。
試合は、霧島の勝ちでした。
二人の取り組みを観ていて思い出した言葉があります。
私は私でありたいが
どんな私かわからない
お相撲のことは分からないのですが、解説者が「自分の型」ということを話されていました。
霧島は経験が上回るから、自分を見失わなかったと言えるのでしょうか。
一方の熱海富士は、鼻息荒く、大関に立ち向かった分、一瞬、自分を見失ったのかもしれません。
相撲は一瞬ですが、長い人生でも同じことが言えるように思います。
どれが本当の自分か分からない。
本当の自分が掴みきれないうちに、老人になり、物足りなさが拭えない。
先日、テレビで日本画家「西田俊英」さんのドキュメンタリーを観ました。
屋久島の夜の森で大樹に挑む姿です。
自分は今まで、嘘っぱちを描いていた。と、裸の自分が気づきます。
本当の自分に立ち向かえた時、自分の中に眠っていた何かが蘇るかもしれない。
そういう意味でも、今回は勝ちたい気持ちが先行してしまった熱海富士ですが、今後が楽しみなことです。
若い体力が邪魔をした今日の自分を見つめ直して、本当の自分を極めて欲しい。
相撲太郎。がんばれ~