こころあそびの記

日常に小さな感動を

メディア人

 

 今日こそは何事もないことを祈るような気持ちで迎えた朝でした。

 東の空は薄い紅色を広げたような朝焼けで始まりました。

 

 

 時々通る地蔵堂の前にある手水鉢にはいつも花が浮かんでいます。

 センスのある方の為さりように感心します。と共に、毎日これを続けるお心は尊敬に値すると思っていて、できることなら自分もこんな人に生まれたかった。

 でも、望んでもセンスも信心深さもない私ですから、せめてこのお堂を通る時にはお参りをさせてもらっています。

 

 年はじめから続く地震や事故に、人々ができることは神頼みです。

 どうか、今日こそ穏やかな一日でありますように。そんなささやかなことが何よりの幸せであることに気づかせてもらえた年初でした。

 みんなの心が一つになったからか、今日は静かに終わろうとしています。

 

 

 ただし、日航機事故の記者会見の様子を見ると、多くのSNS上のコメントに同調したくなります。

 なんで、この乗員乗客全員の生還を称えられないのでしょう。海保の方々のお仕事に感謝の気持ちを表さないのでしょう。

 記者とは、なんと卑しく腐った根性なのでしょうか。

 壇上の人を痛めつけ弱みを引き出すようにと、会社から命じられ職責を全うしている姿は、人間の心が欠落しているようで見ていられませんでした。

 

 かつて、メディアに憧れた者として、親にそれだけは止めてくれと諭された意味が分かる気がします。

 メディアとは、ヤクザな商売だったのです。

 社是を優先するあまり、欠落した人間になり果てていることに気づくことさえないなんて。ジャニーズ問題の隠蔽を平気で出来たのは、こういう姿勢だったのかと、底辺に流れる怪しげなものに同じ臭いを感じます。

 

 

 新聞購読者は気づいて、離れていきました。

 地上テレビはうそばっかりということも気づかれてしまいました。

 メディア界の猛省を促すための年頭の騒動だったのかもしれません。 

 今、気づかなければ、いつ気づくのでしょう。あなたがやらなければ、誰がやるのでしょう。

 そういう気骨あるメディア人が待たれる2024年です。