紅白の梅が咲き始めていました。
並んで植わっているのは、畑をお世話されているご老人のお気持ちからでしょう。そのお心にあやかって、春を待っています。
でも、時折見かける彼女のお腰が、見る度に曲がっていくのが気になります。今年もお元気に。
『徒然草を読む』(永積安明著)という1982年発刊の岩波新書を、阪大図書館で借りてきました。
箕面船場図書館の上の階に阪大図書館が併設されていて、市民は利用可能なんです。
市民図書館のポピュラー収蔵本とは少し毛色の違うオーソドックスな本が読めることはありがたいことです。
さて、その『徒然草を読む』なのですが、吉田兼好という人のことを初めて知ることができました。
彼は、一年で『徒然草』を書き上げたそうです。永年心に溜め込んだ思いを表出させたのでしょう。
永安先生は、有名な序章にその彼の思いが表れていると記しておられました。
「つれづれなるままに日暮らし硯にむかひて心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書きつくれば あやしうこそものぐるほしけれ」
兼好は特別な道を探そうとしたが叶わずに、私たちと同じ道筋を経てここに至ったことが分かります。
まずは、自分の業をなんとかしなくては始まらないと比叡山に籠もります。
それは、若さゆえの生きることへの疑問であったと推測されます。
振り返れば、自分も我が身にくっついているものの重さに耐えられなくなった頃がありました。それゆえに、この兼好に親近感を感じないではおれません。
ですが、釈迦が苦行では悟れないことを悟ったように、兼好も比叡山を下りていきます。
そして、特別な行為ではなくて、老荘が示す無為自然に生きるとい方へ梶を切るのです。
「春暮れて後夏休みに夏果てて秋の来るにはあらず 春はやがて夏の気をもよほし夏より既に秋はかよひ秋は則ち寒くなり十月は小春の天気・・・」
155段
迎え来る新しい気力が内部に満ちあふれているから新旧の交替はスムーズに行われる。
そういう当たり前の中に自分を取り戻していきます。
つまり、彼は原典にそっくりそのまま学ぶのではなくて、自己流解釈を構築したのです。
子育てに励んでいた頃は、自動車が必需でした。車を乗り回さざるを得ない日々、「高名の木登り」の段を運転の戒めにしたことを思い出します。
ドライブの帰り道、もうすぐ家に着くぞという時に、慎重な運転を心がけられたのは、この戒めのおかげでした。
兼好が若気のままに「徒然草」を書いたなら、三大随筆の一つに残ったかなと思います。
難しい時代を迷いながら生きたからこそ後世の人に訴えるところがある随筆になったのではないでしょうか。
そして、彼の生きた時代は、今、私たちが生きている混迷の時代と似ているようでもあります。
そんなことからも、兼好が逃げ出したくなったことや、世相を斜めに見たくなる気持ちも、少しだけ分かるような気がするのです。