きのうは、月齢9.6。月の出はお昼でしたから、宵には空高く輝いていました。
その明かりが周りの雲を輝かせている一瞬が見られたのは幸いでした。その後、雲は流れてぽつんと取り残されたお月様。あのお月様に日本のロボットが月面着陸したというニュースが小さく報じられていました。
日本人研究者のがんばりをピックアップできないメディアって、どうなんでしょう。
ところで、昨年老衰のために亡くなられた栗田勇さんの本が、本箱の中で幾冊か積ん読になっていたので、『花のある暮らし』を出してきました。
一月の章に「竹」がありましたので、なんで竹なのだろうと開いてみたところ、次から次へと話が展開していきまして、面白く読ませていただきました。
竹は竹藪のイメージばかりだったのですが、この竹に神聖を感じた昔の人の感覚の鋭さには恐れ入ります。
そういえば、毎月朔日には近くの神社で「湯立神事」が執り行われます。
巫女さんがぐつぐつ煮え盛るお湯に笹の束を浸けたあと、かなり激しい所作でお釜の周りにお湯を撒いて土地のお清めをなさいます。最後は、参列者たちが笹から滴るお湯をかけてもらって終了です。このお湯を浴びたら、無病息災で過ごせます。だから、みんな笑顔で神事で使った笹を一本ずついただいて帰途につくという、ありがたみのある神事です。
ここで笹が使われることに何の違和感もなく見ていたのは、笹のもつ生命力ある清潔さが他の草木で代用できないということを理屈抜きで感じていたからかもしれません。
できることなら、毎月行きたい神事です。
栗田先生のご本には、私の好きな道元と家持が出てきました。
まず道元。彼が天童山で修行していたとき、師の如浄が夜更けに「杜鵑啼いて山竹裂く」と喝を入れた瞬間に、道元は悟ったそうです。
そうか。道元を悟らせたのは、真っ直ぐな竹が裂けた音だった。めったにない事との遭遇が真理を呼び覚ますことは、我々凡人にも時々起こることです。
あのことがあったから、今の自分がある。そう語る人は少なくありません。
そして、家持は代表作「春愁三題」の一題に竹を詠んでいます。
わが屋戸のいささ群竹吹く風の
音のかそけきこの夕べかも
巻19-4291
家持の聴覚が優れていたと思われる歌をもう一首。
朝床に聞けば遥けし射水河
朝漕ぎしつつ唱ふ船人
巻19-4150
この歌が一番好きかも。
寒い朝、布団から出られない中学生が、霧の立ち込める川の情景を想像している様子と思うのは感性の乏しさゆえとお許し下さい。
歳寒三友を「松、竹、梅」とする説と「梅、水仙、竹」とする説があるそうです。今の季節にぴったりするのは後者のように思います。
川岸に水仙が咲き出し、柳も芽を吹き始めて遠目にうっすら緑色。春を見つけるのが楽しみな季節になりました。