こころあそびの記

日常に小さな感動を

そを見つつ共に行く

 

 昨日の夕方、犬の散歩に出た時のこと。

 西の空に異変を感じて見やると、大げさではなく六甲の山が燃えているような炎の光景がひろがっていました。

 たまたま坂道を下ってきた方に、

「きれいですね」と話しかけたら、「こんな寒い中、出てきたんやから、ひとつくらいいいことがないとね」と応じて下さいました。

 六甲山を時雨れさせている雨柱が、沈んでいく太陽に照らされて、大自然が織り成す壮大なショーでした。

 こういう一期一会が、心に灯をともしてくれます。目を閉じてもずっとある残像。うれしいことでした。

 

 

 そして一夜開けたら、予報通りの寒さでした。温度計はマイナス2度。娘たちがプレゼントしてくれた電気毛布がありがたい朝でした。

 メダカ鉢に今季一番の厚い氷が張っているのを見て、童心が刺激を受け、アリーナに飛んで行きました。

 

 

 きのう、さよならした太陽が今朝も上ってきます。

 空を見て遊ぶだけで、一日がなんと輝くことでしょう。大自然の営みが体の中にいのちを与えてくれることを実感します。

 「人間は大自然の一員であり、常にその影響を受けている」

 いのちの真理です。

 

 

 ロウバイは盛りを過ぎようとしています。

 ロウバイを臘梅と書くのは、旧暦12月のことを臘月というからです。臘月に咲くから、臘梅。

 一方、蠟梅と書くのは、花が蠟(蝋)のようだから。

 今年はどうしたことか、たくさんの臘梅に会えました。身の回りにあふれていても気づかないことの多いこと。

 蝋細工のような花の姿と匂いを覚えておくように云われた気がしています。この渋い花を好む人はお花上級者ですよね。

 

 

 キジバトが、臘梅畑の中でホーホーと鳴いて、枝から離れません。

 双眼鏡で覗くと、穢れのない眼の美しさに吸い込まれそうでした。

 

 帰宅して詩集を繰りましたら、今の気持ちは、村山槐多さん(1896~1919)の「二月」という詩の末尾に似ていました。

 

「 たそがれか日のただ中か

  君はゆく大空の物凄きだんだらの

  薄明り

  そを見つつ共に行くわれのたのしさ。 」

 

 明治の人も見たのですね。もうすぐ二月です。