こころあそびの記

日常に小さな感動を

「吾唯足知」

 

 寒さで体も心もシャキッとする朝でした。こんな日こそ歩こうと思う人もおられるのではないでしょうか。私もその一人。

 仕事場へ歩いて出発。六甲山の山襞の一つ一つがきれいに見えていたので、神戸に誘われている気がしました。残念。仕事がなかったら、そちらに伺いたいですのに。

 

 

 仲良しのカルガモのつがいが一組。

 お水は冷たかろうに水鳥は逞しいのです。それに、今日は風切羽の青い色が見えてドキッとさせられました。このアクセントカラー。誰が配色されたのでしょう。

 

 

 水は流れていたら凍らないことを、昨日、アリーナの溝で学習しました。その学習成果が早速生かされて、流れが行き止まりになっているところに氷結を見つけました。

 雪舞う川沿いの道を、サクサクと霜柱を踏みながら歩くのは、童心の自分です。

 

 

 ところで、突然の薬局あるあるです。

 近頃は、一般にも後発品(ジェネリック医薬品)の認知が進んだので、投薬時のトラブルはほとんどなくなりました。

 それでも、すべての人が理解しているわけではないので時々、笑ってしまうことが起こります。

 今朝も、ジェネリック医薬品は先発医薬品よりお安いですよ、と説明を受けた患者さんが、

 「あんたに私の財布の中身を心配してもらわんでもいい!」と、つっけんどんに言い返されたと、薬剤師がしょげていました。

 

 

 調剤薬局というのは、30年くらい前に出現しました。

 それまでは、薬局という場所で保険証を見せることがなかったわけですから、「なんで薬局で保険証がいるねん」と文句云われることが多くて、その度に、ひとりひとりに保険のシステムを説明したことを懐かしく思い出します。

 また、意味不明なことに、医院と薬局ができるだけ疎遠を装うようにと法律で決められていたために、処方箋のfaxは禁止、患者さんは医院を出てから公道を歩かされた上、薬局で待たされたものです。

 今は、チーム医療が当たり前になって、ドクターも薬剤師も自由に行き来できるようになったことに、隔世の感があります。

 

 

 蛇足ながら、皆保険はありがたいシステムですが、診て貰うことを権利と考えることは、システムの破綻に繋がることを意識されていますか。

 「吾唯足知」(われただたるをしる)と、京都、龍安寺蹲踞(つくばい)に時計回りに書かれています。

 コマーシャルに乗せられて、安易に医療を受けることは、保険料の無駄遣いになります。

 ほとんどの人はそんな意識がなく、悪気はないこともよく知っています。

 でも、社会貢献なんてなんにもできなくても、医療費を使わず元気に過ごすことが何よりの貢献と気づいてほしい。

 一人でも多くの人が、健康に暮らせば、社会保険の問題は徐々に解消に向かうでしょう。

 そして、最後の最後、どうしてもお世話にならざるを得ないときには、大手を振ってお世話になりましょう。

 厚生省がなんといおうと、医師会がなんといおうと、製薬会社がなんといおうと、私たちは元気です!という勇気が試されています。