こころあそびの記

日常に小さな感動を

『西田俊英展』in NAGOYA

 

 突然、名古屋へ行こうと決心させたものは、『西田俊英展』でした。

 去年、NHKの巨樹番組で何度か放映されたようですが、私が観たのは『日曜美術館』でした。

 今日、ハードディスクに残していた録画をもう一度ゆっくり観て、やっぱりいいなぁと感じています。審美眼に疎い私は、その絵に至った体験に心寄せてしまうのです。

 

 

 西田俊英さんは、物心がついた頃から絵を描き始め、小学校六年生でプロに弟子入りしたという経歴をお持ちです。

 それだけ、天性の画家だったってことでしょうが、自分は絵しか知らなくて、すべては絵を通して学んだとおっしゃっています。

 その学びの集大成が、天から与えられた、この大作“屋久島の森”なのではないでしょうか。

 

 

 昨日、慣れない名古屋の町の松坂屋の本館八回の画廊に、ようやくたどり着いたと思ったら、会場は南館の七階だと教えられてがっかり。そちらへ向かおうとした私に、画廊の受付の方が、「先生もおられますよ」とそっと教えて下さったのが、西田俊英先生、そのお方でした。

 テレビで観た感じとは違って、黒いスーツに赤いポケットチーフ。背が高くてダンディーなお姿でした。

 画廊の方々とお話されていたのを、遠巻きにチラチラ見ながら、撮っても良いとのことで写したのが『翡翠』です。

 

 

 見えますか?岩の上の翡翠

 カワセミのような小さないのちを見落とさないことは、大作の方にも見られます。屋久島の森の中の小さないのちが数多く描き込まれていて、観覧者の心を和ませてくださいます。

 

 

 テレビ放映のどこに、強烈な印象を持ったかというと、夜の森での写生です。

 まず、女である自分には挑めないこと。其処で、自分が決して見られないものをご覧になったと想像したのです。

 夜の森。しかも、屋久島の原生林に深く分け入り、夜を過ごすなんて、先生の覚悟を感じました。

 巨樹である三穂野杉が自分に描かせているという感覚に感動して、男泣きされるシーンがありました。追い続けていた本物を感じた瞬間ではなかったでしょうか。

 

 

 生きることは、”真善美の追求にある“なんて、言葉遊びをする人はあまり好きません。まやかしを平気で言える人を信用できない質なのです。

 ですから、本物を実際に体験した人を尊く思ってしまいます。

 『西田俊英展』は、名古屋に足を運んだ甲斐がありました。

 そして、先生が到達された「自然の中ですべてはつながっている」という真理が、花梨の会のモットーである「人間だって自然の一員である」に通じると思うと、思いが共有できる人をまた一人見つけたことが、うれしくてたまりません。