曇天の朝。庭の梅が満開になっていました。
晴れてる日の梅もいいけれど、春雨に濡れて静かに咲いている梅の風情も、この年になってようやく味わえるようになりました。
梅は大陸から伝来した花です。それは、umeという発音から明らかだと、ものの本には書いてありました。
そして、平安時代以前には、日本の梅は白梅しかなかったそうで、万葉集に詠まれた梅は、なべて白かったそうです。
だから、花を雪に見立てた歌が多かったわけです。
「我が園に梅の花散るひさかたの
天より雪の流れ来るかも
大伴旅人」
旅人といえば、「令和」の選定元の漢詩を詠った人として、数年前には時の人になりました。ご記憶でしょうか。
「初春の令月にして気淑く風和らぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす・・」
藤原氏に下命を受けた大宰帥で大歌人であった旅人にとって、課せられた負担の大きさは想像を絶するものでありました。そこで真似たのが、『蘭亭の序』です。
長屋王の失脚と藤原氏の台頭。文化の香り高い世界の裏にある政争に、観梅どころではなかったことでしょう。失敗すれば、左遷が待っています。
しかし、旅人さんはやり遂げました。
元号になっていることをお知りになる由もありませんが、歴史を作って下さったことは、令和の人間が語り継ぐことでしょう。
その後に登場するのが、右大臣まで上り詰めながら、大宰府に流された天才、菅原道真でした。
東風吹かば匂ひおこせよ梅の花
主なしとて春を忘るな
失意のうちに左遷から二年後に配所で亡くなります。その心の内がこの歌だと思うと、天神さんにお願いばかりはしておれない気がします。
903年2月25日が命日とされています。もうすぐです。
平安時代になって、ようやく紅梅が輸入されました。それまで白梅を雪に見立てたり、香りを楽しんでいた人々の目に、色が入ってくるようになります。
清少納言は「木の花は濃きも薄きも紅梅」と書いています。濃い紅色は大人の色気を、薄い紅色は幼な心を思い出させます。
そっかぁ。我が家の梅は薄い桃色だから、私はいつまでも子供心から成長できないのかもしれません。
でもね、心底は大人の白梅気分に憧れているんですよ。
大好きな蕪村の辞世の句は、
「しら梅に明くる夜ばかりと
なりにけり」です。
心を穏やかにするのは、白梅でしょう。派手さのない清楚な白い梅の花が静寂な世界へ誘います。
雨の日、出かけて行くのは億劫なので、色とりどりの梅を夢想しています。
「梅遠近南すべく北すべく 蕪村」