ベニカナメモチ。こないだまでくっついていた赤い小さな実が足下に落ちて、代わりに、赤い新芽が出ていました。
季節の巡りをキャッチして、スムーズに世代交代する植物の賢明さを思う朝でした。
キジバト。
「夕方にこのホーホーという鳴き声を聞くと悲しくなる」と、お話し下さった方がありました。
白梅にメジロ。
お花に首を突っ込む仕草のかわいいこと。
小雨そぼ降るアリーナから帰って、テレビを付けたら『まんぷく』の今週分が放映されていました。
まさに、チキンラーメン誕生の瞬間でしたから、出演者の皆さんと心を一つにして、ついついその頃のことを思い出していまいました。
この画期的なラーメンは、1958年に発売開始されました。
さすがに、その第一号は食した覚えはありません。が、それから十年ほど経った中・高生の頃には夜食として連夜、食べていました。
食べ盛りの私があんまにおいしそうに食べるからと、母がその食べっぷりを横で楽しんでいたことを思い出します。それに比べたら、近頃の子どもの食は細くなりました。危機感のない食卓は幸せなことに違いないのですが・・複雑です。
チキンラーメンを買いに行った池田駅前ダイエー店が開設されたのは1967年といいますから、私が食べ盛りだった頃です。
時々、家族で食料品のまとめ買いに行きました。
袋にはとても入らないから、お店の人にダンボール箱をもらって、多いときは二箱くらい買ってきました。
父はそのレシートの長さを、「今日は何センチや」と、嬉しそうに自慢してたものです。
チキンラーメンも、まんぷくになるほど詰めていたのでしょうね。
ダイエーは中内社長の戦争体験から生まれました。特に絶望的な飢餓体験が与えた影響は強烈です。
人間の幸せは食べることから始まるという考えは戦中派の人間に擦り込まれた信念です。
京阪、千林商店街に生まれた「主婦の店ダイエー薬局」が、戦後気分の人々に与えた希望はどれほど町に明かりを灯したことでしょう。
遅蒔きながら、今に至ってドラッグストアは食料品も扱い、主婦にとって大助かりの形態になりつつあります。それを、早くから思いついたのは、消費者目線を大切にした中内社長のお考えでした。
晩年、お辛かったと聞きますが、発案された業績は生き続けています。
言語録に「この資源のない国で、世界一豊かな暮らしを提供するためには、もっと使命感に燃えた人が必要だ」とあります。耳が痛いことです。