こころあそびの記

日常に小さな感動を

市軸稲荷神社

 

 市軸神社に神道のあれこれを習いに行ってます。

 いまさら、という思いもありますが、とりあえずこの年になるまでの不勉強を少しでも挽回できたらと通うことにしました。

 境内の川津桜が、雨の中よく来たねと出迎えてくれています。立て札をよく見ると、土田早苗さんに贈られたものでした。

 豊中の美容院で見かけたことのある女優さん。桜井谷の中学で火野正平さんと同級生だったそうです。

 彼女が桜を贈られるということは、この神社を崇敬されているということでしょう。

 

 

 宮司さんに「女の神さま」の由縁を訊いてきましたので、ご報告したいと思います。

 

 宮司さんのおばあさまは、いわゆる見える方だったので、近隣の信奉者の相談事に答えておられたようです。

 

 そのおばあさまにお告げが降りてきた場所は、現在の刀根山高校、もと阪大薬学部の裏手の松林の中だそうです。そこにあった小さな祠が市軸神社の始まりです。

 通称、市軸神社とお呼びしていますが、「市軸稲荷神社」が正式名称です。

 えっ?境内にお稲荷さんらしきものが見あたりませんが・・

 この「稲荷」とはなんぞや?

 宮司さんにお尋ねしたところ、「伏見稲荷神社の御神体である伏見山を登って、一の峰までいくと、末広大神の社があります。その左手の階段を数段下りたところに市軸大神が祀られてあり、その神様を分祀しているのが、市軸稲荷神社です」とのことでした。

 

 

 では、お多福さんの謂われはなんですか?

 これは、古事記にも日本書紀にも登場しないのに、大祓詞に出てくる「瀬織津姫(せおりつひめ)」のことです。

 大祓詞には、次のように書かれています。

 「佐久那太理に落ち多岐つ 速川の瀬に坐す瀬織津姫と云ふ神 大海原に持ち出でなむ 此く持ち出で往なば 荒潮の潮の八百道の八潮道の潮・・」

 瀬織津姫は水に流して下さる神様だったのです。

 女は何かとごちゃごちゃと余計な悩みを持つものですから、それを流してくださるから「女の神さま」と呼ばれていたと分かりました。 

 宮司さんにお尋ねしてみました。

 「以前に、あのかんざしは渦潮に流して下さると聞きました。今はどうなさってますか?」

 「行ってますよ」

 そうなんです。今も変わらず、節分にお参りされた方々の体の痛みも、胸に溜まった悩みも、みんな渦潮に流して下さっています。

 宮司さんとお話しているうちにも、何人か参拝におみえでした。それが、みんな男性なんです。

 悩みを持つのは男女を問いませんから当然といえば当然です。

 昔、神さまごとは女の領域、専売特許に見えたのは、男性が人前で弱味を見せられなかったからだったのかもしれません。

 神さまを真剣に拝む男性に頼もしさを感じたことでした。