こころあそびの記

日常に小さな感動を

フラワームーン!

 

 今夜の満月はアメリカの農暦で「フラワームーン」。

 花咲く季節に相応しい名前です。

 是非とも見たくて、レーダーを検索したら雨雲らしき雲は見あたりませんでした。

 期待を膨らませて、外に出てみたら一面の雲。西に傾いた太陽も写真のとおりです。

 太陽、地球、月が一直線に並ぶ時刻は22:53です。

 雲間から一瞬でも望めたらと、まだ期待を捨てずに待っています。

 

 

 さて、『光る君へ』が、吉高由里子さんの好演もあって、善戦しているようで、うれしいことです。

 YouTubeなんか、源氏一色。いろんな角度からの解説が目白押しです。

 今まで、学校で習った『源氏物語』のイメージが大きくて、私のような者には近寄り難いものと思い込まされていた節があります。

 

 先日、図書館で借りてきた『源氏物語の愛』の中で、秋山虔さんが書かれていた言葉「源氏物語をつまらなくした原因」に合点しました。

 まず、これは1000年読み継がれてきた世界的な名作と、学生時代に叩き込まれたこと。

 次に、古文の文法や意味の暗記学習に終始したこと。平安時代という貴族社会の風習から習うべきどころ、そんな時間的余裕もなく、受験勉強に埋没したつまらない古文の時間を今となっては、恨めしく思います。

 

 

 それから個人的には、訳者の名前を見ただけで、自分とは縁遠いと思ってしまったことがあります。

 円地文子瀬戸内寂聴与謝野晶子谷崎潤一郎とくれば、愛の達人というイメージしかありませんから、どれも読む気がしないまま今に至ってしまいました。

 

 単なる男女の色恋物語でないことは、光源氏が触手を伸ばす女性を見れば分かります。

 それを訳文から入ってしまうと、訳者の作った恋物語に染まってしまう危険があります。

 瀬戸内寂聴さん自身が仰っています。

 「訳はあくまでも原文への橋渡しにすぎません」と。

 

 紫式部が後世に書き残したかったことは、そんな色恋ではなかったはずと私は信じたいのです。

 愛を混ぜこんだ物語の方が大衆受けすることを知っての上の創作だったのではないでしょうか。

 では、何が云いたかったのか。

 『光る君へ』の後半に注目です。大石静さんの手腕が、それを解き明かしてくださるかも。

 またしても、自分で原文も読まず、楽な方を選ぶとは情けないことですが、遠い平安時代が身近になったことは確かです。

 

 

 ところで現在、午後8時半。月待ちしているのですが、今のところ満月は見えません。

 夢の中で見るか、それとも夜更かしするか。

 決めかねて、パパのお土産のビアードパパでもいただくことにいたしましょう。