今日は旧暦の五月五日、端午の節句です。端午は五月の最初の午の日のこと。写真には竹の皮に包んだチマキが見えます。これは、もともと屈原を偲んで食べるようになったのですが。
このあいだ地球ラジオを聴いていたら、台湾では200種類くらいの粽(ちまき)があると報告があって、NHKアナウンサーがびっくりしていました。
日本で端午の節句に食べる粽は、もち米を蒸したものを茅の葉で包んだものですから、あのアナウンサーの頭の中はハテナ?印でいっぱいになったのではないでしょうか。
「あるとき~ないとき~」で人気の551の店員さんが、会計時にひと声、「あわせてチマキはいかがですか?」
「今日はいいわ」
「またお願いします」。
陳列棚の上にあるチマキは豚肉やタケノコを入れて蒸したものです。
中国では、これに似たものが家庭の味としていろいろあるようです。
今日は孫たちの運動会が大阪城ホールで開催され、高校三年生になった孫の招待を受けて初めて観覧してきました。
いつも書いてますように、私はとんでもない運動音痴。それも筋金入りと覚え込ませたのは母です。
「あの人、体操の時間になったら、”お竹、先生にいうてきてぇな“と帰ってくるねん」
あの人とは、母のすぐ上の兄のこと。お竹とは、お手伝いさん。
小学校が家の前にあったので、兄貴が体操の時間は逃げて帰ってくる様子を見ていた妹でした。そんなことから、体操はしなくていい教科と思い込まされてしまいました。
おかげで、運動はできなくて当たり前というふうに育ったわけです。
その血を四分の一引き継いだ気の毒な孫たち。
リレーなんて縁がないはずなのに、故障者が出て急遽、代走に撰ばれたと聞いて、どうしよう・・という娘と私。
ここからは、お耳汚しです。
孫のリレーが始まりました。なんと、一番いやなパターンです。彼のクラスが先頭を走っているのです。
せめて、三番手くらいなら遅れても目立たないのに、トップでバトンを渡されたらその責任はどうやって取るの?ハラハラドキドキ。
ついに彼の番が来て、夢中でビデオのボタンを押しました。
なんと、彼一人がビデオのファインダーに写っているではありませんか。
私も、そういう時がありました。それはベッタを独走してるときです。
でもね。孫はトップを独走してたのです。
ビデオ撮りながら、涙が滲みました。
バトンを無事に次の走者に渡し終わって、胸をなで下ろしたと同時にどっと疲れを感じました。
こんなことに欣喜雀躍するなんて。多分、どちらのご家庭にあっても普通の出来事だと思われますのに、運動音痴の家系には夢を見ているような時間だったのです。
私の血が、薄くなったことを証明してくれた孫に心からありがとうと言ってあげたいです。
最高の冥土の土産をもらって、もう思い残すことはありません。