こころあそびの記

日常に小さな感動を

「庭の教え」を読んで

 

 「ごきげんよう」(ご機嫌よろしうお過ごしですか)。

 自分の機嫌は自分でつくる責任があるという、昨日の続きでも、デヴィ夫人の真似でもありませんが、朝から、ごきげんになることがありました。

 

 

 というのは、『致知』の今月号の「巻頭の言葉」が、後藤俊彦さんの手になるものだったからです。

 後藤さんは高千穂神宮の宮司さんです。昨年、高千穂神宮を訪れたとき、存在を知って、早速に購入した『山青き神の国』が、今も本棚からこっちを見ています。

 今月の言葉は、わが国で一番美しいこの季節の水田から始まります。

 田んぼが、わが国の文化の源であることは知っていても、残念ながら町育ちの私には経験できなかったことです。

 田んぼの畦道に置かれたかごの中で、親たちが農作業している間、すやすや眠った体験談を聞くだけで、ワクワクしてしまう私です。

 しかし、直接の体験がないのに、我が体験と捉えることができるところが、不思議なことです。この国のかたちは、ひとりひとりの胸の底に歴然と存在していて、そのことが、見えない支えになっているように思えます。

 

 後藤さんの文章を読んでいると、自然と元気が出てきて、高千穂に再訪したくなってしまいました。

 ご案内下さった槵觸神社(くしふるじんじゃ)宮司さん、お元気でしょうか。また、ご一緒にウォーキングしたいものです。

 

 

 それから、今月号には、うちの近所にある箕面自由学園(略称MJG)のチアリーダー部監督の野田一江さんが登場されています。

 チア経験ゼロから、全国優勝38回の常勝チームを作り上げたご苦労を語っておられます。

 そういえば、通学路で見かける子どもたちの様子が変わったのはいつの頃からだったでしょう。アイス片手の、ルーズソックス。そんな生徒はすっかり見かけなくなりました。

 話は脱線しますが、昨日、国会で大暴れした人は、その頃の卒業生です。彼が見習うべきは後輩たちかもしれません。

 

 

 閑話休題。田中校長を筆頭に、職員全員で学園改革を敢行された結果、道ですれ違う子どもたちは元気いっぱい、笑顔いっぱいで挨拶してくれます。

 自分の好きなことなら、がんばれるのは子どもも大人も同じこと。迷いなく目標に突き進んで行く子どもたちの姿をうれしく見ています。

 

 

 後藤俊彦さんの文章の結語に、個人主義の行き過ぎは孤独を生み出すと憂いておられることに、同感です。

 ひとりぼっちという思いこみが、先日も事件になったばかりです。

 そうさせない社会にするために、年長者がお手伝いできることがあるとしたら。それは、なにもしなくてもいいから、気持ちを若人に向けてあげることです。彼らから元気をいただくのもいいでしょう。

 そんな年長者のささやかなお役立ちは、思いのほか小さくないかもしれません。

 

 「  たらちねの 

        にはの教(おしえ)はせばけれど

  ひろき世にたつもといとぞなる 」

         明治天皇の御製