仕事帰りに、千里中央まで足を延ばしました。
オトカリテ(旧・ピーコック)の建物に工事用覆いが掛けられているのを見て、ずいぶんご無沙汰したことに気づきました。
かつては、日常的によく通ったものでした。気の張るお遣いものには、やはり、百貨店の包装紙は強い味方でした。
今や、地元のお品の方が喜ばれるようになり、すっかり足が遠のいていたのでした。
そんな人が多いわけでもないでしょうに、平日の昼間なのに駐車場ががら空きなことに、まず、びっくりしました。
人の流れが、変わってしまったのですね。
来年から千里中央がターミナル駅ではなくなるわけで、目先の利く商売人は、此処に投資することは避けているのでしょう。
北千里の方がさびれていたのに、阪急はいち早く手を打って大規模な再開発をしています。
あぁ、あの賑わいが懐かしくて、感傷的な気分になってしまいました。
ところで、千里中央へ行ったのは、美味しい林檎が買いたかったからです。
というのは、今朝、『こころ旅』で正平さんが林檎畑を走りながら、「林檎のいい匂いがする」と呟かれたからです。
真っ赤な林檎がたわわに実るりんごの木が主枝を切ってあるのは、どの子にも手がが届くようにという配慮でしょう。
自転車をこぎながら、正平さんが歌ったのは、「リンゴの唄」でした。
同世代ですから私も知っています。でも、どちらかというとあれは大人の唄だと思っていました。ところが、サトウハチローさん作詞とのこと。綴られた大人の心情を読み直しているところです。
うちの子どもたちには、「りんごのひとりごと」を歌って育てました。歌のスピードを変えて、早くしたり遅くしたりして、笑い転げたことがいい思い出です。
りんご売り場で、秋映に次いで色の濃いのは紅玉でした。
正平さんが「見てよ!真っ赤だよ!!」とおっしゃっていたので、紅玉を買ってきました。
両手をどんなに
大きく大きく
ひろげても
かかえきれない この気持ち
林檎が一つ
日あたりに転がっている
林檎の真っ赤な色が、豊さを思わせてくれる一方で、一抹のさびしさを感じさせるのは、甘酸っぱい味を想像するからなのでしょうか。
おうい雲よ、の山村暮鳥が、リンゴの歌に隠した思いは、どちらでしょう。
詩が書けなくなるほどの思いがなければ、詩人にはなれないそうです。
一片の綿雲。
日だまりの林檎。
何かに触れて、出てくる言葉を書き留めたいという気持ちの高鳴りが後世に残る詩を生みました。
連日、悲惨な映像を目にします。
噴出してくる怒りを抑える方法は、他にないのでしょうか。
押さえられない暴発。
世界には、怒りが澱のように溜まっている地域がまだまだあることに悲しみを感じます。