こころあそびの記

日常に小さな感動を

本日は旧暦5月13日

 

 今日は旧暦の5月13日です。

 だから五月雨。ひどくならずに過ぎ去ってくれたこれたことに、まずは天に感謝です。

 昼前には、水たまりに太陽が映るようになり、通勤通学時の豪雨がうそのように静まったので、一安心。とはいえ、生徒を預かって降雨量を心配された先生方はお疲れになったことでしょう。

 ありがとうございました。

 

 

 運転していた娘に「あれ、何?」と、問われて初めて気づいたヤマモモの赤い実。なんてかわいらしい色なのでしょう。

 夜来の雨で落ちたのでしょうか。樹上には実が残っていました。天然の造形に感激。

 

 

 芒種の末候、「梅子黄」の季節です。青かった梅の実が黄色になって、梅仕事がはかどります。

 

 この青と黄を読み込んである漢詩が白楽天の「客の湖南にゆくを送る」です。

 その三連目に

 「帆を開けて青草湖の中に去んぬ

   衣湿うては黄梅の雨の裏に行く」

とあります。

 湖南に行く人は、晴れた日には舟の帆をあげて青草湖を渡ってゆく。あるいは服を湿らせて梅雨の中を歩いて行く。

 と、解説してくださったのは高橋順子さんです。

 著作『うたはめぐる』の中の、「黄梅の雨」の書き出しが素敵に思えましたので写します。

 「外は雨。降りこめられていると、雨の幕が下りているようで、気分が落ち着く。何をしよう、などと考えているうちに、大きな景色をうたった漢詩が読みたくなったりする」

 全く同感でした。

 雨で気分が落ちつくことも、そんな静かな時間に本を読みたくなることも。

 

 

 五月雨。文学素養のない私にはこれしかありません。

 「五月雨の降りのこしてや光堂」

 

 大昔に参加した市民講座で使った『奥の細道』(飯野哲二著)という小さな本を本棚から引っ張り出してきて、「平泉」の項を読んでいます。

 知らなかったことがいっぱいです。興味がないときの勉強なんて、時間の無駄ですね。せめて、この本が残っていたことだけが救いです。

 

 『奥の細道』は、芭蕉が亡くなる4、5年前の旅行記です。

 すでに、どこかに不調があったのではないでしょうか。それでも、これだけはと敢行したのは、心に期するものがあったにちがいありません。

 心眼でものを見る年になれば、涙もろくなります。

 

 藤原三代の栄華が滅び去った跡に涙し、さらに光堂に鞘堂を作って後世に残そうとした人がいたことに感謝の涙を流した芭蕉

 それからたった三百年。そんな年月の果てに私たちは生かされています。

 どんな人に、握りしめたバトンを渡せばいいのだろう。悔いなく渡したいものです。