ニュースでは、台風が来る前に刈り取り作業を進める地方もあると報じられています。もしも、台風が真上を通過したら、今まで半年間の苦労が水の泡だからです。そんな農民の心配が取り越し苦労だったと言えますように。
箕面あたりでは早場米ではないために収穫は秋祭りの頃です。ですから、いくらなんでも今刈り取るのは無理です。どうか風さん、お手柔らかに。
さて、仕事から帰ってテレビをつけたら、NHKBSで『次郎物語』が放映されているところでした。
懐かしさの余り、またまた最後まで観てしまいました。
文学少女でなかった私が中学時代に読んだ本の数はしれたものです。
その中で、「心に残った本は」という読書調査のたびに書き続けたのが、『次郎物語』でした。
何度か映画化されているようですが、この1987年制作の『次郎物語』は、子育て真っ只中でしたから観てないように思います。
次郎のお父さん役が加藤剛さん。
お母さん役が高橋惠子さん。
乳母役が泉ピン子さん。
お祖父さん役が芦田伸介さん。
豪華俳優人の揃い踏みです。
さらに、主題歌はさだまさしさんの『男は大きな河になれ』ですから、観ない選択は出来ませんでした。
暗めの画面に庄屋家屋と白い土塀という映像は、日本人なら誰もが持つ心象風景です。
原作者の下村湖人さんの自伝だといいますから、明治中期にはこういう旧家は珍しくなかったのでしょう。
没落していく旧家の当主として、加藤剛さんが持ち前の誠実さで演じておられました。こんな硬派の俳優さん、見かけなくなりました。時代の要求はソフト派ばかりになっているようで、頼りなさを感じます。
乳母の元に里子に出された次郎が、孤独にめげずに育つところが見所、読みどころです。
中学の頃は、そこに涙したものですが、我が子を育て上げた今の自分の観点は変化していました。
死期の近づいた母親の,「子どもはただただ可愛がってやりさえすればよかとね」という台詞で涙が溢れました。
下村湖人さんの訴えでしょうか。
はたまた、子育てに迷うママたちへのメッセージでしょうか。かわい、かわい。外野に煩わされず、愛しい我が子をいい子いい子してあげて下さいね。
男らしく、なんて今は禁句だから、この『男は大きな河になれ』は最近、聴かれません。
さだまさしさんが、モルダウを選ばれた訳をお訊きしたいものです。スメタナはモルダウをチェコの童謡をベースに作曲したといいます。
源流から野を越えプラハに至る河の流れに人生を重ねたのでしょうか。東ヨーロッパの民族紛争の悲しみを感じるメロディーです。
父親が次郎を諭す言葉にありました。「巡り合わせの中で、どう生きるか」と。
巡り合わせは、偶然かもしれないし、自分で選んだのかもしれない。そんなことをごちゃごちゃ考えるよりも、今できることは、ただ今をどう生きるかしかありません。
プラハの明るい町に流れ着く日を目指したいものです。