こころあそびの記

日常に小さな感動を

やり過ぎ

 

 日本列島上で右にカーブする予報進路をみると、この場所が選ばれた土地であると思わずにおれません。

 小さな列島を選ばなくても、他に広大な場所があるでしょうに。不思議なことです。

 でも、それだから、私たちの先祖は他の国にないものを培ってきたことは確かです。

 この数日、何としても静かにお通りいただいて、台風一過。胸をなで下ろせますように祈るばかりです。

 

 

 信号待ちの間、空を見上げると、雲が南東から北西に流れていたことから、この大阪も台風の渦巻きに遠巻きながら入ったことを実感したことです。

 

 

 近頃の『虎に翼』が難解になってきました。

 ここまでくると、法曹界に興味のある人たちだけのお話になってしまいそうで、一般素人というか何も考えていない人間にはついて行き難いことです。

 と思ってたら、弁護士の北村春男さんが釘を差すコメントされていたので、そりゃ、私には無理と思ったもんです。

 

 さて、そう言う私も、3歳で家庭裁判所のお世話になりましたから、寅子さんたちの頑張りの恩恵を受けた人間の一人かもしれません。

 当時は、入り婿でもない限り、結婚したら夫の姓に変えることに異議を唱える人はいませんでした。

 ですから、夫婦仲がうまくいかなかった母に祖母は「女の子でよかったなぁ」と慰めたと聞いています。

 女の子なら、他家に嫁に出せば、姓が変わり、実の父親と縁が切れるからです。

 そんなことを経験しているから、他人に興味が持てない冷たい人間になりましたというのは、言い訳ですが・・

 

 

 さて、この言葉は前回放送の『光る君へ』にも登場しましたから、覚えておられる方もいらっしゃることでしょう。

 父親の為時が、勉学好きな子供時代のまひろに、「おまえが男だったらなぁ」とこぼしたことがありました。

 ところが、源氏物語を書き始め、宮中に召し抱えられることが決まった途端、「おまえがおなごで良かった」と喜びます。

 身に覚えがある私には、面白い台詞でした。

 

 ちょっと気が強くてお兄ちゃんを負かす娘には、「お前が男だったら」と言い、なよなよした息子には「この子は女だったらよかったのに」と言う。

 今も昔も男女のイメージは変わりません。だって、身体の造りがちがうのですから。

 虐げられた時代があったから、もっと女性の地位を向上させましょう。というのが行き過ぎて、男性がその割を食っては元も子もありません。

 どっちだって生きていける世の中なら、それでよい。どうして、そこで止められないのでしょう。と、行き過ぎを案じている婆さんです。