きのう野暮用で歩いた国道沿いで、本屋閉店の貼り紙にショックを受けました。
通るたびに、荒れ果てた建物の様子などから、いつまで持ちこたえてくださるだろうと案じていた本屋さんでした。
どうして、もっと利用してあげなかったのかと、今頃思ってもあとの祭りです。
アマゾンなどの送料無料が、町の本屋の経営を圧迫しているといわれて久しいことです。
しかし、町の小さな本屋さんは住民にとって大切な存在であり、本屋の有無は、その町の民度を表すといわれます。
そんな落ちぶれていく町の現状を見過ごせなくて一石を投じてくださったのが、直木賞作家の今村翔吾さんでした。
箕面駅近くにあった書店の閉店を聞き付けて、買い取ってくださったのです。
その功績からでしょう。新しくできた箕面船場図書館のロビーには、彼の色紙が飾られています。
でも、彼一人の思いでは、歯止めがきかない本屋の衰退は、歯がゆいことです。お手伝いできることは、残った本屋に足を運ぶことくらいしか思いつかないことが、情けないことです。
人と人。目と目を合わせることがどんどん減っていくことに虚しさを感じるのは、たぶん老人だけでしょう。それが当たり前の環境で育つ若者には、無縁のことなのかもしれません。
さて、その廃業前の本屋さんの店内に入ると、閉店のお知らせを知った人々が押し寄せていたのは、2階にある半額セールの文具売り場だけでした。
本屋の心臓部である1階の本売場はいつものように閑散としています。
お世話になったお礼にと、平積みのコーナーを見て回りましたら、私に話しかけてくる本がありました。
それが、この本です。
まずは、表紙のフェルメールの絵、次に、天気というキーワードが私を惹きつけたのです。
こういう予期せぬ本との出会いは、町の本屋さんでしか経験できません。
それが、本屋さんを覗く醍醐味と言えるでしょう。
著者である長谷部愛さんの東京造形大学の授業を拝聴したい想いに駆られてしまいました。
福岡伸一先生が愛して止まないフェルメールで始まる文章は、私の今までの思い違いを正してくれるものでした。
フェルメールの時代の絵の画面が暗いのは、当時のお天気と関係があったとは知りませんでした。17世紀は小氷河期で、曇天が多く、それを写す絵画も暗くならざるを得なかったとは、目からウロコでした。
なかでも、暗い画面の代表はレムブラントの『夜警』です。
中心に立つ二人にだけ光が当たっている絵です。目が悪い私はこの暗い画面が苦手でした。しかし、彼が描きたかったのは窓から差し込む光だったということを聞いて、初めてこの時代の絵の鑑賞の仕方がわかりました。
この光は、レムブラント光線と名付けられた「天使の階段」でした。
この時代の人が、いかに光に恋い焦がれたのか。それを表したのが『夜警』だったというところまで読んで、気象予報士としての勉強を絵画に結びつけた長谷部愛さんに敬意をはらいたくなった次第です。
表紙になっているフェルメールの描いた『デルフト眺望』の空の美しさは絶賛に値するとされています。
当時の人々の空への憧れは光への憧れでした。明るい光がこれからも射し続けるように願うことが、地球環境の保全と結びつくとは考えたこともありませんでした。
すべて、町の本屋さんから学んだことでした。