黄金色とはよくいったもの。秋の収穫が近づいてきました。
地震の次に台風がやってきて、マスコミが必要以上に備蓄を呼びかけたものですから、店頭からお水やお米がなくなってしまった地域があったそうです。
これに乗じて、吉村さんが備蓄米の放出を訴えて点数稼ぎをしようとしたのは、選挙民の方を向いた発言でした。
少しお百姓さんのことを考えたらわかること。
この半年、酷暑のあいだも手を抜かずに苦労して育ててきたお米が育ち上がって、やっとの思いで出荷にこぎつけたことなど頭の片隅にもなかったことが想像できる発言でした。
新米ほど日本人の秋の味覚に欠かせないものはありません。電気釜であっても、炊き上がるときのあの匂い。おかずはなんにもいりません。
新米価格を下げることに繋がる政策は愚の骨頂です。黄金色に実ったお米とお百姓さんに感謝する気持ちを忘れてほしくありません。
仕事からの帰り道、カーラジオから流れてきたのは、結婚カウンセラーなる横書きの職種の方のお話しでした。
カウンセラー。
この横文字の一見、専門職っぽい名称は、私が大学進学を考える頃に出現したものです。
心理学というのは、少しでも悩んだ経験のある者には魅力的な薫りが伴うものでした。ご他聞に漏れず、私が憧れを持ったのは当然の成り行きでした。
しかし、まだ国家資格にも認められていない道に進むことに大反対を受けて、薬剤師の免許取得に進んだという意気地なしです。
その後、精神科のパートなどして見えてきたのは、カウンセラーの実情でした。
民間資格ですから、誰でもなれますが、資格取得には結構な費用がかかります。おいしい獲物にされたのは、暇を持て余す主婦が多かったと記憶しています。
悩まずに育った人などないわけですから、苦しむ人に寄り添う仕事は同じ経験を持つ人なら誰でもできるのです。
ただ、相談者との相性だけは必要です。話したくない相手に、悩み相談はできませんから。
さて、ラジオに寄せられた相談は、「結婚相手と話すことがない」というものでした。
私なら、融紅鸞さんばりに、「あんさん、別れなはれ」と言ってしまいそう。カウンセラーにならなくて良かったとつくづく思ったことでした。
出演されていたカウンセラーの方のお答えは、ああしたら、こうしてみたらと方法論をいろいろに展開されて、さすがによくお勉強されていることが察せられたことです。
でもね、努力してもだめなときはがんばらなくてもいいからね。
相手がだめでもなく、自分が未熟なのでもない。疲れるなら、融紅鸞方式ですよ。
私は、時々、本の断捨離をします。
前回のその前から、ずっと断捨離グループに入っているのに思いっきりがつかないのがこの『硝子戸のうちそと』(半藤末利子著)です。
表紙に見える作者とご主人様の笑顔が、私に欠けたものを教えているようで、ドキッとします。今後、この世で、この円満なご夫妻のような心持ちになれることなど、絶対に望めないと断言できます。
でもね、裏側の帯を見る度に、いつかは、こんな風に愛される経験もしてみたいと乙女チックに思ったりするわけです。
「彼は夫としては優等生であった。あんなに私を大切にして愛してくれた人はいない。
ほんの四日間だけ、下の世話を私にさせたことを、「もったいない」と嗚咽を堪えながら、「あなたにこんなことをさせるなんて思ってもみませんでした。申し訳ありません。あなたより先に逝ってしまうことも、本当にすみません」と頻りに詫びるのであった。」
本文から抜粋