こころあそびの記

日常に小さな感動を

気ひとつ

 

 「気ひとつ あついと思えば なお暑い」

 禅寺と書いてあるけどほんとうかなと疑ったこともあったこのお寺。今朝は、今まで見た貼り紙の中で最高の言葉にグッドボタンを押したくなりました。

 これでこそ臨済宗ですよね。

 「心頭滅却すれば、火もまた涼し」

 禅宗坐禅は、場所も時も選ぶことなく、ただ無念無想で座ることから始まります。只管打坐。そういう世界観が好きなのに、足が悪くなってからは遠のいてしまいました。

 それでも、道元さんへの憧れは変わらずにいます。

 

 

 ここは、広いペンペン草の原っぱと化しているのに、赤いテープで囲われています。どうしたことかと、しばらく立ち止まっていたら、そのペンペン草の中から立ち上がる人影を見つけました。

 その人の手には小玉スイカが乗っているではありませんか。

 足もとの境界に張られた網の際を見たら、ゴロンゴロンと西瓜が生っていました。

 

 

 毎日歩けば目新しい情報は枯渇しそうなものですが、それがなんと次から次に新発見があって、無駄歩きがないことに自分でもびっくりします。

 それもこれも季節が巡るからなのでしょう。ありがたいことです。

 

 

 楽しみにしている睡蓮。

 これに連想されるのが山崎美術館。あそこの池の睡蓮も今頃は見頃でしょうか。そういえば、いつも夏の盛りに訪れる場所です。

 

 

 アリーナの池の畔に蒲が穂を付けていました。

 こちらの連想は「因幡の白兎」です。

 ソーセージみたいな形が雌花のあとで、その上に伸びてるところが雄花のあとだそうです。雄花が撒き散らす花粉が止血抗菌作用があると、大国主命が知っていたことにあらためてびっくりします。

 他にも、蒲鉾という名前に「蒲」が付いているのは、昔は、竹に巻きつけて焼いた形が蒲の穂に似ていたからとか。

 また、今週末に迫った丑の日に食べられる「蒲焼」は、昔は、ウナギを筒形に切って串刺ししたから「蒲」という字が使われたそうです。

 

 家に閉じこもっていたら知り得ない情報が手に入る散歩は、心のオアシスに連れて行ってくれるすばらしい健康法です。